小説家・長薗安浩さんの「ベスト・レコメンド」。今回は、『異常(アノマリー)』(エルヴェ・ル・テリエ著 加藤かおり訳、早川書房 2970円・税込み)を取り上げる。

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 一昨年、フランス文学最高峰と称されるゴンクール賞を受賞したエルヴェ・ル・テリエの『異常(アノマリー)』。小説には大なり小なり「常ならぬ出来事」が付きものだが、この作品が用意しているそれは、たしかに「異常」と呼ぶしかない、こちらの予想をはるかに超えるものだった。

 2021年3月10日。パリ発ニューヨーク行きのエールフランス006便に乗り合わせて乱気流に巻きこまれた人々が、約3カ月後に再び同じ便に乗り合わせる。まったく同じ乗員乗客243人が、まったく同じ飛行機でニューヨークに現れる……いったい何が起きたのか。

 3部構成の第1部に登場する殺し屋、小説家、映像編集者、癌患者、7歳の少女、弁護士、歌手、建築家らはこの飛行機に乗っていて、「異常」の当事者となる。第2部では、前代未聞の「異常」に直面したアメリカ政府、学識者、宗教関係者の混乱ぶりが描かれる。そして第3部では、「異常」の事実を知らされた第1部の登場人物たちの、文字どおり身を切るような決断の場面が展開する。

 この作品が優れたSFでありつつ無理なく読者に内省を促してしまうのは、作者が数学者や言語学者やジャーナリストでもあるからか。属性の異なる人物たちの造形の見事さ、何より、とんでもない「異常」を実際に起こりえるかもと感じさせる知見の確かさに驚く。

 論理的で美しい構成と技巧的な文章にも魅了され、気づけば、自分も「異常」に巻きこまれたらと考え、何度となく粛然とした。もうこれを読む前の自分にはもどれない──久しぶりに読書の醍醐味を堪能させてくれる、小説好きにはたまらない傑作である。

週刊朝日  2022年7月8日号