健康と、歌える環境を下さい」って口に出して自分と神様に伝えています
健康と、歌える環境を下さい」って口に出して自分と神様に伝えています

 60歳を前に新しいキャリアに挑戦し、華々しい活躍を遂げた“アラ還シンデレラ”がいる。でこぼこ道もなんのその。何歳(いくつ)になっても自分らしく前向きに生きるその姿は、やりたいことが見つからない人や一歩踏み出す勇気が持てない人へのヒントやエールになるはず。61歳のときに紅白初出場を果たした歌手・秋元順子さん(75)のパワフルな人生訓をお届けする。

写真の続きはこちら

 幼いころから歌うことが好きでした。でも自分の声はコンプレックスで。小学校ではガラガラ声って笑われるし、母には「産声を聞いたとき男の子だと思った」って言われる始末(笑)。でも3年生のある日、クラスのみんなの前で「月の沙漠」を歌ったら、先生が「いい声ね~」って拍手してくれたんです。きれいとか美しいじゃなくて、いい声。それからは人前で歌うのがなんでもなくなりました。

 本当は音大に行きたかったんですけど、母に「働いて家にお金入れてくれないかしら?」って言われてしまって。時代が時代なので、ある程度働いたらお嫁に、っていうレールが引かれていたんです。でも状況がマイナスだなって気づいたら、どれだけ早くプラスに持っていけるかが勝負! 余暇で音楽ができるよう、石油会社に就職して社内のハワイアンバンドに入りました。会社のイベントとかパーティーに呼ばれて何百人もの前で歌ったり、他のグループからスカウトされて3つのバンドを掛け持ちしたり。ずいぶん楽しませて頂きました。

 バンドの女の子たちは澄んだかわいい声で「ハワイアン」なのに、私が歌うと周りは「ジャズワイアンだね(笑)」って。いつかこのハスキーボイスを生かせる日が来るはずだと勝手に信じて歌い続けたけれど、24歳で会社を辞めて花屋に嫁いでからは音楽はお休みしました。お店が4軒あって子どもが二人いて、自分はいつごはん食べてたの?って不思議なくらい、とにかく忙しかった。そして上の子が小学4年生になったころ、昔のバンド仲間に「食事会があるから来ない?」って誘われたんです。行ってみたらなんとそこはライブハウスで、「今日は新メンバーでの結成式だから君も入って」って。

著者プロフィールを見る
大谷百合絵

大谷百合絵

1995年、東京都生まれ。国際基督教大学教養学部卒業。朝日新聞水戸総局で記者のキャリアをスタートした後、「週刊朝日」や「AERA dot.」編集部へ。“雑食系”記者として、身のまわりの「なぜ?」を追いかける。AERA dot.ポッドキャストのMC担当。

大谷百合絵の記事一覧はこちら
次のページ
ムラムラっと来ちゃって……