ドナルド・キーンさんとキーン誠己さん(写真=キーン誠己さん提供)
ドナルド・キーンさんとキーン誠己さん(写真=キーン誠己さん提供)

 海外に日本の文化と文学を広め、2019年に96歳で亡くなった日本文学研究者のドナルド・キーンさん。日本国籍を取ったニューヨーク生まれの世界的な学者はユーモアを愛し、地元の商店街の人々ときさくに交流を重ねた。生誕100年の年、息子の誠己さん(71)に思い出を聞いた。

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 2011年に起きた東日本大震災は、ドナルド・キーンさんにある決意を促した。

 キーンさんはそれまでの40年間、毎年、日本とアメリカとで半年ずつ過ごしていたのだが、

「日本国籍を取ることにしたのです。前々からいずれはそのようにと決めていましたが、震災が後押しになりました」

 そう語るのは、息子のキーン誠己さん。

 浄瑠璃三味線奏者だった誠己さんは、古典についてキーンさんに指導を受けたことを機に親交を深め、キーンさんが日本国籍を取った12年3月に養子縁組をしたのだ。

「父は『おくのほそ道』翻訳のため訪れた平泉と中尊寺が大好きでした。震災の後は中尊寺で行われた法要に列席しました」

 震災後に離日した外国人が多い中、日本人として人生を歩む決意をしたのだ。どれだけ日本を愛していたか。生誕100年を迎えるにあたり、誠己さんが知られざる素顔を教えてくれた。

「父は和食好きですが、『僕は和ものは一切作れないから』と言い、和食を作るのは私でした。焼き魚、煮魚、野菜の煮付け、おひたし、茶わん蒸しが特に好きでしたね。みそ汁も好きで、豆腐のみそ汁や、キノコを入れたみそ汁を好んで食べていました。たくあん以外は何でも食べました」

 ダイコンは火を通した料理なら食べたが、生では決して食べなかったという。というのも、

「京大大学院に留学中、回虫にあたって苦しんだそうです。医者から『たくあんが原因だろう』と言われ、それ以後、生のダイコンを食べないようにしたと聞きました」

 一方、キーンさんが作った料理といえば、

「ステーキは必ず父が焼いていました。微妙な火加減で、ミディアムやレアなどを焼き分けていました。肉は、塩、コショウ、乾燥バジルで味つけ。それに、エシャロットのみじん切り、スライスしたマッシュルームと赤ワインで作ったソースをかけるんです」

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