北条早雲の肖像画(小田原城公式ホームページから転載)
北条早雲の肖像画(小田原城公式ホームページから転載)

 歴史に名を残すような業績を上げ、長生きした人物は、どんな生活を送っていたのだろうか。社会は今よりも不安定で、医療の水準も低かった。そんな“ご長寿歴史人”の健康の秘訣(ひけつ)を、歴史に造詣の深い医師らに探ってもらった。

【歴史に名を残す〝ご長寿偉人〟たちの健康法とは?】

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 歴史の表舞台に出たのは、還暦を過ぎてから──。日本大学医学部の早川智・主任教授は、戦乱の世を88歳まで生き抜いたとされる北条早雲に注目する。

 早雲は小田原城を拠点に、5代にわたって関東一円を支配した戦国大名、北条氏(後北条氏とも言う)の開祖だ。表舞台に登場するタイミングは遅かったが亡くなるまで勢力を伸ばし続け、100年にわたる北条氏の基盤を築く。

 もともとは備中伊勢氏の出身で、室町幕府に仕えていた。遅くとも1487年以降は駿河の大名今川氏に仕え、93年には、当時、伊豆を支配していた堀越公方・足利氏を追い出すことに成功する。60代にして成り上がり伊豆一国を治める戦国大名となった。その後、95年には伊豆韮山から相模小田原へ進出、大森氏から小田原城を奪った。1513年には、自ら陣頭指揮して相模の名門・三浦一族を破り、古都鎌倉を含む相模一国の支配権を確立している。

 早川教授は言う。

「早雲は室町幕府の武家貴族として、当時の大学とも言うべき禅寺で教育を受けていました。家臣への書状や子孫に残した家訓を見ても、無教養で荒くれ者の多かったほかの戦国武将と一線を画しています。英国では56歳の時の知能指数(IQ)が高いと、16年後の72歳の時に生きている確率が上がるという研究結果があります。研究では、高等教育を受けていることと寿命の間に相関関係があるとも結論づけています」

 戦国武将として成功するには、高い知能と優れた状況判断が求められる。戦(いくさ)に勝つのはもちろん、同盟関係にある武将や家臣の裏切りといったいくつもの謀略や困難を乗り越える必要があるからだ。

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池田正史

池田正史

主に身のまわりのお金の問題について取材しています。普段暮らしていてつい見過ごしがちな問題を見つけられるように勉強中です。その地方特有の経済や産業にも関心があります。1975年、茨城県生まれ。慶応大学卒。信託銀行退職後、環境や途上国支援の業界紙、週刊エコノミスト編集部、月刊ニュースがわかる編集室、週刊朝日編集部などを経て現職。

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