「風雨にさらされたリアルな実車感を演出するため、1台1台の塗装にひと手間ふた手間加えています。ナンバープレートもそれぞれ違っていますから、完成まで2カ月ほどかかりました」

 同作品展は、コロナ禍で20、21年と2年連続で中止だった。石坂さんが来場するのも3年ぶりだ。

「年に一度、七夕みたいにここでしか会えないプラモファンが大勢いらっしゃいます。コロナ禍前なら、台湾やアメリカ、欧州のクラブも合同作品展に参加していたんですけど、渡航の問題で今回も無理でした。でも2年も中止になったことで、改めてプラモファンにとってホビーショーや合同作品展が、いかに大切な場所であるかが認識されたように思いますね」

「ろうがんず」のブースは、09年に初出展して以来、作品展コーナーの正面中央が定位置だ。2日間の会期中は石坂さんもいて、一見であろうとファンの一人一人に丁寧に対応するため、自身は「そんなことはないですよ」と謙遜するが、石坂さんをお目当てにやってくる人は少なくない。

 しばしプラモ談議に花を咲かせ、求められれば距離をとりながらツーショット写真やサインにも応じる。それは、「一人でも多くの人に合同作品展に足を運んでもらいたい。ハードルが高いと思われがちなプラモのイメージを変えたい」との思いがあるからだ。

ファンが持参した飛行機プラモの箱にサインをする石坂浩二さん
ファンが持参した飛行機プラモの箱にサインをする石坂浩二さん

 石坂さんのプラモの原点は、小学生時代にさかのぼる。

 元々、手先が器用だった。カッターやナイフで、木の板を削って模型を作るのが放課後の楽しみの一つ。その後、実物の大きさを縮尺通りに再現するソリッドモデル(木製模型)が登場すると、精巧な模型が手軽に作れるようになり、ますますのめり込んでいった。

 プラモデルと出会ったのは中学3年の1956年。東京・新橋にオープンして間もない輸入プラモ専門店「ステーションホビイ」に友人と立ち寄り、初めて見るプラモに衝撃を受けたという。

「木製模型では、操縦士が乗るキャノピー(操縦席の透明な覆い)の窓の部分を、空の色を反射しているという設定で空色の塗料で四角く塗っていました。ところがプラモはキャノピーが透明なんです。今では当たり前ですが、これにはとても驚かされました」

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積み上げたままの“積むプラ”は200個を優に超えている