昨年、還暦を迎えた相島一之さん。その少し前に事務所を移籍するなど、俳優としてもリスタートを切った。ストイックになれない愚かな自分を笑い飛ばしながら、“攻め”の表現を模索し続ける。
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昨年3月に立ち上げたホームページを覗くと、相島さんらしい空気感を醸しながら、俳優になった経緯や、結婚のこと、家族のこと、病気を患ったこと、音楽や落語などについての思いがシンプルな言葉で、力強く語られている。演劇や音楽や家族など、自分の周りにあるものへの愛が溢れているが、質問が普段の生活や健康法などに及ぶと、答えに詰まることが多くなった。
「恥ずかしながら、僕、まったくもってストイックじゃないんです(笑)。世の中に溢れるエンターテインメントの中では、とくに落語とブルースが好きなんですが、それは落語とブルースが、人間のダメなところを肯定しているから。落語は立川談志師匠曰く『業の肯定』だそうで、登場人物は愚かでずるい奴ばかりです。ブルースも、いかに自分がつらいかしんどいかを訴え、嘆き、それを笑い飛ばしながら、好きな女の子に下ネタもバンバン交えながらモーションをかけていく、そういうノリの音楽。黒人たちが昔から愛好していた音楽に白人が出会って発展していったブルースですが、出会いの音楽という意味では、ゴスペルも同じ。なのにゴスペルは、“神の音楽”と呼ばれ、ブルースは“悪魔の音楽”と呼ばれた。僕がブルースにどうしようもなく惹かれてしまうのは、人間の愚かな部分に、魅力を感じてしまっているからなんでしょうね」
■お芝居の面白さを発信し続けたい
現在稽古に取り組んでいる舞台「貴婦人の来訪」にも、愚かな人間たちが多数登場する。スイスの作家デュレンマットが、架空のヨーロッパの街で、善良な市民がファシズムに巻き込まれていくさまを描いている。
「貧困にあえいでいる街に、その街出身の大富豪が帰郷します。街の人たちは彼女が大金を寄付してくれることを期待する。でも、老婦人は、多額の寄付をしてもよいが、かつて自分をひどい目に遭わせた恋人を死刑にすることが条件だという。街の貧しき人たちは、全体主義的に仲間を死に追いやるわけですが、この作品はそれをとてもユーモアたっぷりに描いています。演劇なんていうものはしょせん作り事だけれど、劇場という架空の空間に、役者たちが街や森や駅をつくっていく。その“実際にないものをイメージの中でつくり出す”という行為を、演出家の五戸真理枝さんは丁寧にやろうとしていて、今は稽古の最中ですが、役者とスタッフがその共通認識をシェアしていく過程が、演劇を始めたばかりの頃のように新鮮です」