1972年5月15日、国主催の沖縄復帰記念式典であいさつする屋良朝苗・沖縄県知事
1972年5月15日、国主催の沖縄復帰記念式典であいさつする屋良朝苗・沖縄県知事

 知念氏は子どもができたのをきっかけに沖縄に帰った。基地の県外移設を主張するようになったのは、95年の米兵による少女暴行事件を受け、当時の大田昌秀知事が「日米安保が必要なら本土も応分の基地負担をすべき」と訴えた後だ。

「基地は嫌だから、そんな日本の人を困らせるようなことを言ってはいけないのではないかと思っていたのですが、よく考えてみたら困らされているのは私たちのほうなのに、困っていない人たち、押しつけている側を思いやっている。それこそが支配ではないかと気づきました。自分たちが我慢して、基地を子どもや孫の世代にまで引き継ごうとしている」

 沖縄ブームが起きた2000年代、「本土」の人に「そんなに沖縄が好きなら、基地を持って帰って」と言うと無言でスルーされたという。だが、その声は県民の中で強まっている。

 朝日新聞が沖縄タイムス、琉球朝日放送と合同で3~4月、沖縄県民を対象に世論調査を実施した(5月13日付朝刊)。沖縄にある米軍基地などを整理・縮小するため一部を国内の他の地域に移すことに「賛成」63%、「反対」27%で賛成が大きく上回った。

 一方で、昨年、県外移設にずっと反対の共産党が政権交代を実現しても、日米安全保障条約の廃棄を求めない姿勢を表明したことに注目する。

「だったら、なおさら本土で基地を引き取って、自分で反対運動をしてなくすべきでしょう」

 今後の日本と沖縄の関係について、知念氏はこう提言する。

「日本の人は基地を押しつける支配者であることをやめてほしい。私たちも支配を受け入れることや、共依存関係にあることをやめる。最初は大変ですが、それぞれが取り組む。また出会い直して、お互い敬意が持てる関係になりましょう」

 復帰から半世紀──。政府が沖縄の基地の整理・縮小に本腰を入れない限り、「対話による解決」を言い募ったところで、軍用機の轟音にかき消されていくだけだ。

(本誌・亀井洋志)

週刊朝日  2022年5月27日号