キャンプ・シュワブにダンプカーで運び囲まれる土砂
キャンプ・シュワブにダンプカーで運び囲まれる土砂

 沖縄で基地建設反対運動を続けるヘリ基地反対協議会の共同代表、豊島晃司氏はこう憤る。

「再三にわたる国側の強引な手法に心底怒りを感じます。防衛局が軟弱地盤の存在を認めたのは土砂投入を始めた翌月の2019年1月ですが、15年の段階で海底地盤の調査を依頼した業者からの報告で知っていた。都合の悪い情報は隠して、土砂投入を先行して既成事実化を図ったのです」

 軟弱地盤の判明で当初5年と見積もられていた工期は2倍になり、完成は2030年代以降にずれ込む。総工費も約2.7倍の約9300億円にまで膨張した。豊島氏はこんな不安もつけ加える。

「メディアの人たちが悪いわけではないのですが、埋め立て工事を空撮した写真を見ると、県民のみなさんは、もうここまで工事は進んでいるのか、仕方ないのかなと思ってしまうものです。それが政府の狙いでもあるんでしょうけどね……」

 名護市内の桟橋や本部町の港ではダンプ100台、200台分もの土砂が運搬船に積み込まれ、大浦湾へと出港する。豊島氏が監視活動のため搬出現場に向かうと、海に巨大な運搬船が20隻くらい停泊していたという。

「胸が気持ち悪くなる思いがしました。沖縄戦の時に米軍の艦船で埋めつくされて、青い海が黒い海に見えたと言われていますよね。戦後77年、復帰50年のいま、そんな光景を想像します」

 豊島氏は北海道帯広市で自主上映の映画館を運営していた。東村高江のヘリパッド建設に反対する人々を記録した映画「標的の村」の上映会をきっかけに沖縄を訪れ、17年に名護市に移住した。

「高江や辺野古に座り込むお年寄りたちを見て、自分も一緒に座り込まなければと思った。きれいな海を守りたいし、沖縄に骨を埋めるつもりです」

 基地移設問題はなぜ混迷したのか。移設先が辺野古に決まったのは1999年11月。当時、県知事として“苦渋の決断”を迫られたのは、自民党沖縄県連の推薦を受け98年に県知事に当選した稲嶺惠一氏。「軍民共用にする」「15年の使用期限」を条件に辺野古を受け入れた。稲嶺氏はかつて会長(現参与)を務めたりゅうせき本社(浦添市)の応接室で、こう振り返る。

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