撮影/東川哲也(写真映像部)
撮影/東川哲也(写真映像部)

 作家・森まゆみさんは、20年近く前に取材した東京の飲食店を再び訪ねた。

「お店がまったく変わっていたらどうしよう、とドキドキしました。昔のダンスの相手を訪ね歩くフランス映画『舞踏会の手帖』みたいでした」

 新橋の「新橋亭」では再会を喜んだ先代に巨大シュウマイをご馳走になり、新宿の「スンガリー」では代替わりしたお孫さんと意気投合した。

 浅草、本郷、神田・神保町など、地域で章を分けているが、『昭和・東京・食べある記』(朝日新書 979円・税込み)はいわゆるグルメガイドではない。森さんが2008年に出した『「懐かしの昭和」を食べ歩く』に掲載した店を中心に、「駒形どぜう」「文流」「シシリア」など39店の来歴を主人に聞き書きしている。

「お店を長く続けるのは大変なことですよね。でも、お店の人は作家と違って自分から自伝を書いたりしないから歴史が残らない。私としてはみんなが知っているお店の歴史をお伝えしたい。これは聞き書きによる近代史の本なんです」

 上野の「天寿ゞ」の主人は、鳶の頭だった祖父が天ぷら店を開いた経緯、養子の父の苦労、子供の頃の上野を語る。そこから町の輪郭も見えてくる。かと思うと森さんが「なんで菜箸がそんなに太いのか」と尋ねていたりして、カウンターの隣で会話を聞いている気分だ。

 店の話だけではなく、森さんの町の記憶も書かれている。駒込動坂町に生まれ育ち、両親と上野や銀座で外食を楽しんだ。青春時代のエピソードもあり、店の歴史と相まって一つの東京物語としても読める。

 店は今後も通い続けたいところ、誰でも入りやすいところを選んだ。

「食材とか料理法がどうという以前に、お店はやっぱり雰囲気とか人柄ですよね。ちゃんとした主人がやっている店は、ちゃんとしているに決まっているんです」

 森さんは地域誌「谷中・根津・千駄木」を創刊した1984年から、何千人もの人の聞き書きをしてきた。

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