詩人、小説家の小池昌代さんが選んだ「今週の一冊」。今回は『昏乱(こんらん)』(トーマス・ベルンハルト著 池田信雄訳、河出書房新社/3190円・税込み)。

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 戦後のドイツ語文学のなかで最も重要な散文作家の一人と言われるトーマス・ベルンハルト。その割に邦訳が少ないとも言われてきたが、ネット上に現れたコメントを見ると日本にも熱狂的ファンがいるようである。私は今までベルンハルトを読み通せたことがない。本書『昏乱』をなぜ最後まで読めたのかは私にもよく分からない。単に意志だけの問題だろうか。ちょっとした一行が蝶番のような役割を果たし、文脈の方向や流れがあっという間に変わっていくので、どんな細部も読み落とせない。文圧の高い文章である。

 句点が少なく、一つの単語に長い形容語句が被さるのも読みにくさの要因を作っている。一方でこうした特徴は癖にもなる。途中、集中力が途切れ文脈からふり落とされることがあっても、来た道を戻り、再び読み進めていくと、脳に電光の如き鮮烈なイメージが飛び散り、突き刺さる一文に次々出会う。切れ目なく傍線を引きたくなると、もう少しどうでもいい一行を書いてもいいのにと、変なところで作家を恨みたくもなった。そうして私は、この文字の群れ全体が、次第に一人の人間の「脳」そのものに思えてきた。人は想像力だけで、他者に成り代わることはできず、その人を十全に理解することもできない。だが仮にある数時間、丸ごと脳の中身を取り替え、その人を生きてみたら、こうなるというのが『昏乱』体験だ。

 本書は二章から成る。第一章では、医者である父の往診に付き添う息子、「ぼく」が語り手だが、父や父の知り合いの言葉を直接話法で記述した部分も多い。峡谷の村々に暮らす患者たちは、皆、救いがたい狂気に侵されており、暴力的傾向を多分に持つ。旅館の女将を殴り殺して逃亡しているグレースルという男が話題に上るが、彼がその後、どうなったのか、小説の中では書かれていない。行方不明の殺人者は、読者の心の中に潜伏しているのではないか。狂気を宿した患者とは、私たちのことでもあるのだから。

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