「ペコロスの母に会いに行く」(2013年)=東風提供
「ペコロスの母に会いに行く」(2013年)=東風提供

「従軍慰安婦問題」や「死刑制度」を問う作品群から硬派な小集団を想像しがちだが、代表の木下繁貴の話し口調はいたってソフトだし、4人の社員もおっとり控えめだ。


 まだ東風ができる前、1990年代から2000年代にかけて映画の配給宣伝が「女子大生のなりたい職種」の上位にあがり、テレビ番組で若手社員が自社のイチオシを紹介するコーナーをよく見かけた。在日問題を扱った青春映画『パッチギ!』(井筒和幸監督)を製作した新興の配給会社シネカノンが渋谷や有楽町に劇場を持つなどミニシアターが全盛だった頃でも、ドキュメンタリーはブームの外にあった。


「ドキュメンタリーが面白い」と風向きが変わりはじめたのは、客席100余りの東京都中野区にあるポレポレ東中野で封切られた『人生フルーツ』からだろうか。スローライフを実践する建築家の老夫婦の暮らしに密着した静かな作品は上映館を増やし、観客動員は延べ26万人を記録した。近年ミニシアターを中心にドキュメンタリーが注目されるようになったのは「こうした東海テレビの貢献が大きい」と森さんはいう。


 オウムの施設内を撮った『A』は新しいドキュメンタリーの扉を開く一作となる一方で、ビデオ撮影ゆえに批評家から「映画ではない」という辛評を受けもした。


「20年早すぎたんだなあ」と森さんはぼやく。


「僕より上の世代はドキュメンタリーというと、とくに映画は権力や社会の不正を撃つものだみたいな意識が強かったけど、恋愛をテーマにしてもいいし、お笑いをテーマにしてもいいということにやっと作る側も気づきはじめてきた。観客も、いまのテレビには失望しているけれども、劇場に行けば面白いものが見られる。そういう意識をもつ人が増えてきた」


 ドキュメンタリーに注目があつまる状況をそう分析する。


 東海テレビが異色なのは、一度放映すれば終わりとなる番組を劇場向けにボリュームアップして再編集し、全国公開の道を開拓してきたことだ。

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