2021年4月、本誌の取材に応える宝田明さん(撮影/写真部・高野楓菜)
2021年4月、本誌の取材に応える宝田明さん(撮影/写真部・高野楓菜)

「ゴジラ」「放浪記」などの映画や、舞台で活躍した俳優、宝田明さんが今月14日、急逝した。87歳。肺炎だった。4月1日には、初めてプロデューサーを務めた主演映画「世の中にたえて桜のなかりせば」の公開を控え、亡くなる数日前まで、はつらつと取材に応じていた。

 182センチのスラリとした体躯と甘いマスクは、銀幕によく映えた。1954年に「ゴジラ」第1作で映画初主演を果たすと、東宝の看板スターとして昭和の日本映画全盛期を駆け抜けた。出演作は200本を超える。

 40代でミュージカル俳優養成学校を設立するなど、舞台にも情熱を注いだ。「マイ・フェア・レディ」で共演した栗原小巻さんは、本誌にこうコメントを寄せた。

「健康で、お元気な印象が強かったので、驚き、同時に寂しさ、懐かしさ、色々な感情が廻りました」

「仕事への姿勢は、エネルギッシュで、明るく、真面目だけれど楽しむ。いい時代の映画スタアであり、素敵なミュージカルスタアです」

 映画「香港の夜」をはじめ数々の共演作をもつ草笛光子さんは、1歳下の宝田さんを「弟みたいだった」と話す。

「皆さんは『いい男』と思うんでしょうね。でも私は『おたか』なんて呼ぶし、彼は私の本名の栗田にちなんで『くりちゃん』って呼ぶし、ほんと姉弟なの。『ほら、袴のはき方ちゃんとして。一回脱いで!』なんて面倒見たりね。彼も、『俺、二枚目だろ』なんて顔しない。それがいいのよ。気取りがなくて、朗らかで」

 公演やロケのため、ブラジルや香港、ハワイなど一緒に海を渡ったことも。ペルーを訪れた際は、現地の言葉や歌を一生懸命手のひらに書いておぼえ、披露した。「彼は英語も中国語もできるから、一緒にいると楽でした」と、草笛さんは懐かしむ。

 ある意味、宝田さんは“兄”でもあった。

「世の中を知っているのは彼のほう。彼は、満州で育ったんですよね」

 宝田さんは2歳から12歳までを旧満州で過ごし、終戦後の引き揚げ時には壮絶な経験をした。

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大谷百合絵

大谷百合絵

1995年、東京都生まれ。国際基督教大学教養学部卒業。朝日新聞水戸総局で記者のキャリアをスタートした後、「週刊朝日」や「AERA dot.」編集部へ。“雑食系”記者として、身のまわりの「なぜ?」を追いかける。AERA dot.ポッドキャストのMC担当。

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