「20歳の女性が渋谷の反戦デモに参加したというツイートを読んだ。(中略)戦争を知らない若い人達にこんな思いをさせるとは思わなかった。2度と戦争の悲劇を繰り返させない、それが私達戦争体験者なのに」

 BBCやCNNのニュースも見ている森田さんには、ウクライナ侵攻は悪夢の再現だ。

「今のロシアは真珠湾攻撃を仕掛けた日本と一緒です。戦争に反対する人を罰する法律を作ったのもそっくり。戦時中の日本も憲兵が大きい顔をしていた。朝鮮の人が巡査にサーベルでたたかれながら連れていかれたのに、大人は何も言わない。『日本が勝った、勝った』と言うばかり。ひどかったですよ」

 ウクライナから国外へ逃げる女性や子どもたちには、終戦直後、上陸するアメリカ兵が暴力をふるうという噂を聞き、長崎から列車で逃げようとした自分の姿と重なる。

 森田さんが原爆の体験を家族に話し始めたのは、上京してからのことだ。戦争の傷を言葉にできるまでには、それほどの長い時間が必要だった。

「今、憲兵がいたら、私は連れていかれますよ。どうぞ連れていってくださいと言いたい。人の命より大事なものはないんです」

 森田さんの胸には、亡くなった家族と共に、戦争当時に出会った人の姿も深く刻まれている。原爆投下直後の帰途で出会った、「家に帰りたい」と泣いていた鹿児島から軍需工場に来ていた少女、実家に下宿していた戦艦武蔵の若い水兵たち──。

 とくに鹿児島の少女は、被爆体験を語れるようになってからも、安否が心にひっかかっていた。どうしようもなかったとはいえ、妹のような少女に駅の方向を教えることしかできなかった後悔があった。

 森田さんは長女の手を借り、長崎と鹿児島の名簿や記録を調べ、消息を求めて手を尽くした。唯一、わかったのは、森田さんと会ったあと、すぐには亡くなってはいないらしいということだけ。それを知っただけでも、肩の荷が少し軽くなったような気がした。

「私がここまで生きてきて、亡くなった人たちを思い出して、ツイートしたり、誰かに話したりするだけでも違うんじゃないかなと思っています。若い人たちが敏感に反応してくれることは、うれしくてね。『ありがとう、戦争を繰り返さないでね』って返信しているんです」

(ライター・角田奈穂子=フィルモアイースト)

週刊朝日  2022年4月1日号