作家・編集者の佐山一郎さんが選んだ「今週の一冊」。今回は『現代語訳 暗黒日記 昭和十七年十二月~昭和二十年五月』(清沢洌著、丹羽宇一郎編集・解説、東洋経済新報社 2200円・税込み)の書評を送る。

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 コロナ禍に輪をかけてのプーチンによるウクライナ侵略。「準戦時下」とでも言うべき不安定な日常が終わらぬなかでの刊行がタイムリーである。

 明治23年2月、長野県北穂高村に生まれた清沢洌は『暗黒日記』や『日本外交史』の著者として知られる。約30冊の書籍を刊行し、若き日の在住歴11年を有する「アメリカ」と「外交」を専門に健筆をふるった。破局に向かう戦前・戦中の帝国においても観察者に徹することの出来たジャーナリストとして評価が高い。

 清沢の日記は昭和20年5月5日をもって記述が途絶えている。国家に尽くしたい愛国者・清沢にまで投獄間近の噂が流れる中、風邪をこじらせての急死である。享年55。どこか影が薄い理由はそんな事情によるのかもしれない。

 5章で構成されているこの「丹羽編集・解説版」には、250字程の著者紹介があるくらいで清沢の顔写真が入っていない。残念だが、その分だけテクスト重視の方針が貫かれ、序章と終章は丹羽が担当。日記に適宜解釈を入れている。丹羽は実業界きっての読書家としても知られる。

 清沢は敗戦の日を知らずに世を去った。体力過信気味だったことからの急逝はやはり痛く、日本現代史を後日書くための日記が本書と同じ版元・東洋経済新報社から書籍化されたのは昭和29年6月。新聞・雑誌の記事を貼りまぜた清沢の「戦争日記」は、『暗黒日記』とタイトルを変えて出版された。

 岩波文庫・山本義彦編では400頁近いが、それでも全体の約3分の1。完全版とも言える橋川文三編集・解説による評論社復初文庫のそれなどは2段組924頁もの大部。読みやすさを意識したコンパクト版とも言えるこの本での割愛作業は大変だったに違いない。それはともかく本書があえて「現代語訳」と銘打つのは、若い読者を意識してのことだろうか。実際は候文でも文語体でもなく、「あらう」「ゐた」「與へた」「なかつた」のレタッチ程度のことなのだが。

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