人生の終わりにどんな本を読むか――。投資家・作家・喫茶店経営者のヤマザキOKコンピュータさんは、「最後の読書」に『死をデザインする』を選ぶという。

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 20年前、私の父の葬儀には多くの人が集まってくれた。読経が始まると会場のあちこちからすすり泣く声が聞こえ、しめやかに偲ばれて、亡き父が家では見せない外の顔を垣間見たような気持ちになった。

 7年後、私の友人の葬儀にも多くの人が集まったが、火葬が終わるとどんちゃん騒ぎの大宴会へと形を変え、天国まで届く笑い声で故人を盛大に送り出した。

 どちらが良いということもないが、できれば悔やまれる余地もないほどあっぱれな最期を迎えたい。それがいちばん気持ちが良い。ちょうど同じ頃、私は『死をデザインする』という本を読んでいた。アメリカの心理学者、ティモシー・リアリーは末期癌を宣告されたのち、自身の死をデザインすることに挑戦する。死を辛く悲しい終わりと捉えるか、おしゃれで優美なプロセスと捉えるかは自分次第だ。自らの死を想像し描き出すことは、自然と残りの人生を脳内で再構築することに繋がる。

 私も真似して、死をデザインすることに挑戦した。悔いのない生活を積み重ね、自他共に認めるあっぱれな最期を迎えたいが、余生が5秒か100年かもわからない中で、老後の不安を完全に無視して遊んで暮らせるほどタフではない。貯金も知識も学歴も、何もかも足りない。そこで私は資産運用を学び始めた。

 悔いなく不安なく生きていくためのツールとして、お金と上手く付き合う方法を研究し、自分の生活に活かしてきた。それが高じて、今では投資やお金に関する執筆や講演が主な収入になっている。

 私はここ6年、毎年必ず引っ越してきた。理想の暮らしを求めて東京・福岡・沖縄と、どういうわけか南西の方角に向かって直進している。この調子で行くと、私の人生最後の日は南極で迎えることになるかもしれない。餓死か凍死か、どちらにしても遺体がしっかり残りそう。1千年後の博物館で展示される可能性も考慮して、南極では毎日おしゃれして過ごそうと思う。『死をデザインする』は南の果てにも持って行く。自分の人生を生き始めた頃に読んだあの本を、生き終わりにも読んでみたい。

週刊朝日  2022年3月11日号