小泉純一郎(こいずみ・じゅんいちろう)/福田赳夫元首相の秘書から1972年に初当選。国会議員としては祖父から3代目。厚生相、郵政相を歴任。2001年に3度目となる自民党総裁選で派閥主導を批判し、選出された。02年に首相として初めて北朝鮮を訪問し金正日総書記と会談。北朝鮮による拉致被害者・家族計13人の帰国を実現させた。05年に郵政民営化関連法案を提出したが、党内の反対派の造反もあり否決されると衆議院を即日解散。選挙戦では造反議員の選挙区に民営化賛成の対立候補を擁立するなどして圧勝した
小泉純一郎(こいずみ・じゅんいちろう)/福田赳夫元首相の秘書から1972年に初当選。国会議員としては祖父から3代目。厚生相、郵政相を歴任。2001年に3度目となる自民党総裁選で派閥主導を批判し、選出された。02年に首相として初めて北朝鮮を訪問し金正日総書記と会談。北朝鮮による拉致被害者・家族計13人の帰国を実現させた。05年に郵政民営化関連法案を提出したが、党内の反対派の造反もあり否決されると衆議院を即日解散。選挙戦では造反議員の選挙区に民営化賛成の対立候補を擁立するなどして圧勝した

 首相にズバッと切り込んできたジャーナリスト、田原総一朗氏の「宰相の『通信簿』」は今回、小泉純一郎氏。“劇場型政治”“ワンフレーズ・ポリティクス”などと評されながら高い支持率を誇った。政権誕生に至った秘話とは。(一部敬称略)

【田原氏による小泉氏の採点表はこちら】

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田原総一朗氏
田原総一朗氏

 森喜朗首相の失脚後、自民党はどうしようとしていたか。実は当時、森側近の中川秀直から連絡があった。「田原さん、ちょっと飯を食いたい」と。

 東京都内にある料理店の2階の座敷で中川と向き合った。同じ派閥の小泉純一郎が総裁選に立候補しようとしている、という。以前も2回出て惨敗。今度負けたら政治生命が終わってしまう。「どうすればいいと思う?」と聞かれた。

 そこで僕は「これまで自民党の総理大臣はほとんど田中派出身か、田中派の全面応援を受けなきゃいけなかった。もしも小泉が公然と『田中派と真っ向から喧嘩(けんか)する』『田中派をぶっ潰す』と言うなら支持する」と言った。

 中川が「ちょっと待って……」と言うと、階下から小泉本人が上がってきた。「目の前で言ってほしい」と中川に促され、さっきと同じことを小泉に伝えた。「だけど、それを言ったらあなたの政治生命は危険にさらされる」とも付け加えた。そうしたら何と、小泉は「殺されてもやる」と言ったんだよね。

 実際、総裁選になったら「田中派をぶっ潰す」と言っても一般の人にはわかりにくいから、「自民党をぶっ壊す」と訴えた。これで人気が出た。

 2001年の総裁選には、橋本龍太郎と麻生太郎、亀井静香も名乗りを上げた。再登板を狙う橋本はまさに田中派のど真ん中で育ち、田中派の流れをくむ橋本派(現平成研究会)を率いていた。最終的に亀井のグループが味方をすると、橋本が優勢となる。そこで僕は、小泉を支える中川や安倍晋三らに、亀井を口説くようにアドバイスした。亀井は人がいいから、懸命に口説けば、協力を得られる可能性がある。

「もしも小泉の味方をしてくれたら、100%あなたの言うことを聞く。だから小泉が首相になったらあなたが首相になったようなものだ」などと説得してはどうかとね。おそらく彼らは、そんなふうに口説いたんだと思う。亀井がこれを受け入れて本選を辞退し、小泉が首相になった。

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田原総一朗

田原総一朗

田原総一朗(たはら・そういちろう)/1934年、滋賀県生まれ。60年、早稲田大学卒業後、岩波映画製作所に入社。64年、東京12チャンネル(現テレビ東京)に開局とともに入社。77年にフリーに。テレビ朝日系『朝まで生テレビ!』『サンデープロジェクト』でテレビジャーナリズムの新しい地平を拓く。98年、戦後の放送ジャーナリスト1人を選ぶ城戸又一賞を受賞。早稲田大学特命教授を歴任する(2017年3月まで)。 現在、「大隈塾」塾頭を務める。『朝まで生テレビ!』(テレビ朝日系)、『激論!クロスファイア』(BS朝日)の司会をはじめ、テレビ・ラジオの出演多数

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