横尾忠則
横尾忠則

 芸術家として国内外で活躍する横尾忠則さんの連載「シン・老人のナイショ話」。今回は、夢について。

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 セトウチさん(注:故・瀬戸内寂聴)との往復書簡の時は、セトウチさんの手紙に返答するというテーマがあったけれど、今こうして、「シン・老人」でひとりになると、何を書いていいやらさっぱりわからない。困った、困った、と担編の鮎川さんに助け舟を求めると、鮎川さんから3ケ月分のテーマが送られてきた。普段考えないテーマばかりだけれど、このテーマに応えることにしましょう。

 歳を取ると、テーマなどなくなるものです。よく老齢になると好奇心を持つべきだと老人研究家みたいな人が言うが、老人になって好奇心を持つということは「煩悩を持て」と言っているようなものです。老齢になると何もしないことをするのが老齢の過ごし方で、無為自然こそ老齢者の理想的な生き方です。老齢になって好奇心を持つとロクなことを考えません。好奇心は欲望を煽り、悩みや苦しみを生産します。かえって命を縮めます。無為になってボンヤリ自然を眺めるなり、魚を釣りに行くとか、趣味に興じるのが一番いいです。あんまり目的のあることをしないことです。目的は我欲を生み、老齢を苦しめてシンドイです。

 さて、担編さんのテーマは夢です。鮎川さんの最近の夢は現実とさほど変わらない夢が多く、虚構と現実がゴッチャになることが多いそうですが、そんなことは横尾さんにも起こりますか? という質問です。夢と現実がゴッチャになるということは、無意識が顕在化して、虚実が統合することです。芸術は虚実が一体化して作品が生まれます。日常生活がフィクションとノンフィクションの区別がなくなることは最高です。人間は夢現(まぼろし)で生きているんだから、物語の主人公になったようなものです。

 夢と現実を区別しない生き方、夢という無意識は創造の核です。その創造性を現実の中に持ち込むことですから最高じゃないですか。この前、僕は集英社から桜についてのエッセイを頼まれた夢を見て、ハッとして、エッセイを依頼されているのをすっかり忘れていたことに気づきました。翌朝、事務所の徳永に、「桜のエッセイ、何枚で〆切はいつ?」と問うたら、彼女はケゲンな顔をして、「そんな仕事の依頼は受けてません」と言うのだ。「そんな馬鹿な、夕べ夢を見たんだ。集英社の編集者にすぐ電話して詳細を聞いてみてくれない?」と言うと、「それは夢でしょ? 実際に集英社からは、そんな仕事の依頼はありません」。「ホントかな? 桜についてのエッセイだよ」とまだ夢から抜け切れない僕は、彼女の言う現実がなかなか納得がいかなかったけれど、夢だとわかれば、あわてて桜のエッセイを書く必要がない、ひとつ仕事がへってよかったと、嬉しくなった。

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横尾忠則(よこお・ただのり)/1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。2011年度朝日賞。15年世界文化賞。20年東京都名誉都民顕彰。

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