週刊朝日ゆかりの人の「これからの100年を生きる言葉」。まもなく創刊100周年を迎える本誌。中でも、25年以上の歴史を持つ作家・林真理子さんの「マリコのゲストコレクション」は、スタート以来、数々のゲストにご登場いただいてきました。週刊朝日ゆかりの人による、100年たっても色あせない選りすぐりの名言を振り返ります。

【田原氏による田中角栄氏の採点表はこちら】

 今回は日本人が「ジャーナリスト」と聞くと、最初に思い浮かぶと言っても過言ではない田原総一朗さん。現在も「朝まで生テレビ!」などで侃々諤々の討論を取り仕切るメディアの巨人です。対談では、手がけた討論番組の誕生秘話から、キワドイお金の話にまで至り──。

*  *  *

林:田原さんって、政治家をバッサバッサ斬るコワモテのジャーナリストだと思っている人が大半でしょうけど、この本(自伝『塀の上を走れ』)を読むと、とんでもないアナーキーな人なんだということがわかります。

田原:ずいぶん長いあいだ、本当にアナーキーでした。だけど、3人の総理大臣(海部俊樹、宮沢喜一、橋本龍太郎)を失脚させてから、ちょっと考えが変わりました。こんなことをしていていいのかと思って。権力者って、もっといろいろアイデアを持っているのかと思ったら、ないことがわかった。

*中略*(以下、*)

林:東京12チャンネル(現テレビ東京)をやめて、そのあとテレビ朝日で「朝まで生テレビ!」の司会をなさって、これで田原さんの名前が一気に出ましたよね。

田原:それまで夜中の番組は再放送みたいなのが多かったんですけど、フジテレビが若い女性を出して、これがウケたんです。

林:「オールナイトフジ」ですね。

田原:テレビ朝日の編成局長の小田久栄門さんから「夜中を開発したい。何かアイデアはないか。ただし、夜中は予算がないからタレントは出せない」と言われて、じゃあ文化人だなと思った。

林:はい。

田原:それが1986年。ちょうど東西の冷戦が終わるころで、それまでの議論は資本主義か社会主義か、右か左かだったけど、新しい討論ができるなと思った。僕はテレビでおもしろいのは、真剣に命をかけてやる討論だと思っているから、そういうのをやろうと言ったら、小田さんが「おもしろい。無制限一本勝負だ」と言って、これが「朝生」になったんですね。

林:元総理の田中角栄さんにインタビューしたとき、終わったら封筒を差し出されて、中はお金だとわかったから受け取らなかったって書いてありますね。

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