横尾忠則
横尾忠則

 芸術家として国内外で活躍する横尾忠則さんの連載「シン・老人のナイショ話」。今回は、画家について。

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 今週は書くテーマが失くなった。何もないというのはいいことだと思う。何かコトをすると、そこから派生して日常生活がややこしくなる。老子じゃないけれど無為自然がいちばん健康でいいにきまっている。僕はアトリエで何もしないことがある。することはあるのだが、何もしたくないのだ。

 歳を取ると時間が過ぎていくのが早いので、ボーッとしているとアッという間に一日が終る。だから一秒でも無駄にしてはいけないと言う。残っている時間がないので、その残った時間を大事にして、何んでもいいから埋めてしまえ、と言っているように聞こえる。つまり無為な時間を作るなということらしい。でもそんな格言めいた言葉などに従わないで、終日ボンヤリする日が、日に日に多くなって、無為な時間をむさぼる快感がたまらなく、贅沢な気分になるということはどーいうことだろう。格言に反した間違った生き方をしているのだろうか。

 よくスケジュールノートなどを携帯していて白紙のページを何んでもいいから次々と予定を入れて、真黒にしてしまう人を僕は知っている。未来の時間をどんどん侵略して、結局は死に至らしめているだけで、哀れな気がしないでもない。何もなすことがなければ読書をしろと学問好きの人は言うが、僕は昔から何々のための学問など大嫌いだったのであんまり読書はしてこなかった。読書は言葉だから、言葉を蓄積すればするほど、その蓄積した言葉に自由が奪われていくような気がしてならなかった。

 美術の世界にコンセプチュアルアートという作風がある。これは考えて、考えて、これ以上考えられないところで、その考え、つまり言葉を作品に仕立てる。僕のいう無為とは反対の行為である。では無為は何もしないことかというとそうではない。有為に対して無為は、とことん考えない、捨てて捨てて、何もなくなる、そして無為に至る。そんな無為であれば為しえないことなどないと老子は言う。常に無事のままいれば大事を起こした以上のものを手に入れると、また老子は言う。

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横尾忠則

横尾忠則

横尾忠則(よこお・ただのり)/1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。2011年度朝日賞。15年世界文化賞。20年東京都名誉都民顕彰。

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