仏教徒らが内閣退陣を要求して、市中をデモ行進。当時仏僧は瞑想、断食などで政府に異を唱えた。開高も仏僧を取材している
仏教徒らが内閣退陣を要求して、市中をデモ行進。当時仏僧は瞑想、断食などで政府に異を唱えた。開高も仏僧を取材している

 ルポルタージュの金字塔、開高健の『ベトナム戦記』。共に現地を駆け回り、従軍取材では死を覚悟し、「全頁(ページ)に登場している」と書かれた人物がいた。

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 作家で、緻密な取材によるルポでも傑作を生んだ開高健。1964年11月から約3カ月、戦時下のベトナムに滞在し、「週刊朝日」に連載したルポを覚えている読者もいるかもしれない。

ベトコンに包囲され、銃撃を受けた従軍取材。死を覚悟するような過酷な作戦で、200人の部隊が17人になったという
ベトコンに包囲され、銃撃を受けた従軍取材。死を覚悟するような過酷な作戦で、200人の部隊が17人になったという

 共に特派されたのが、開高と同じ30年生まれの写真記者・秋元啓一だ。65年2月14日のジャングル戦では、南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)に包囲されて乱射を浴びたが生還。振り返って開高は「弾丸のしぶきのさなかでシャッターをおす人は、そうはいない。世界有数の写真家」と評し、戦場カメラマンとして名を馳せたロバート・キャパになぞらえ「秋元キャパ」と呼んだ。滞在中に撮った写真は、歴史的にも貴重な作品として知られている。帰国後も親交は続き、『フィッシュ・オン』の釣り紀行にも同行。前述の2月14日を「命日」として、毎年「通夜酒」を酌み交わした。

サイゴン(現・ホーチミン)市庁舎前の塹壕は、子どもの遊び場に。戦争と暮らしは一続きだった
サイゴン(現・ホーチミン)市庁舎前の塹壕は、子どもの遊び場に。戦争と暮らしは一続きだった

「遅筆で知られた開高を、現地で執筆に向かわせたのも秋元さん。名編集者の一面も」と話すのは、開高健記念会の永山義高理事長。前述のルポをまとめた『ベトナム戦記』(朝日文庫)は、先月新装版が発売されている。

近郊で死闘が起きる中、普通の生活が営まれ、夜は享楽にふけるサイゴンを、開高は「悲しくて軽薄で罪深い都」と表現
近郊で死闘が起きる中、普通の生活が営まれ、夜は享楽にふけるサイゴンを、開高は「悲しくて軽薄で罪深い都」と表現

(構成/本誌・直木詩帆)

週刊朝日  2021年12月24日号