(c)Mario Tursi 1970
(c)Mario Tursi 1970

 かつて、「世界で一番美しい」と謳われ、人々を魅了した少年がいた。映画「ベニスに死す」のタジオ役のビョルン・アンドレセン。彼はその後どうなったか──。このほどドキュメンタリー映画が公開される。監督の二人に聞いた。

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 ベネチアを舞台に、初老の男性がタジオという少年の美しさの虜(とりこ)となり、身を滅ぼすというトーマス・マンの短編小説「ベニスに死す」。1971年、映画界の巨匠ルキノ・ビスコンティ監督が映画化し、世界的なヒットとなった。タジオを演じたのが当時15歳のビョルン・アンドレセン(66)だ。彼は「世界で一番美しい少年」と評され、無数のファンが夢中になった。

 特に日本での人気は爆発的で、来日してテレビCMに出演したり、日本語のレコードを出したり。漫画家・池田理代子の代表作の一つ『ベルサイユのばら』の主人公オスカルは彼に触発され誕生した。ビョルンは時の人となった。

 この少年が、その後どうなったのか? 映画「世界で一番美しい少年」は、ビョルンの波瀾(はらん)万丈の半生を追ったドキュメンタリー作品だ。スウェーデンのクリスティーナ・リンドストロムとクリスティアン・ペトリの監督カップルが手がけた。

──本作の発想はどこから?

クリスティーナ(以後KL)「私たちの発案なの。振り出しは、あの少年はどうなったのだろう?という問いかけだった。美へのオブセッション(強迫観念)が時には害を与え、当時子どもだった彼の人生を破壊してしまった。と同時に、人生とは複雑である、という点にも目を向けた。大成功以前の私生活も大いに彼に影響していたという点にも触れたかった。非常に強い興味を引くテーマであると感じたの」

クリスティアン(以下KP)「僕らはいつもどんな映画が作りたいか家で話していて、長いリストが冷蔵庫に貼ってあるんだ。そのリストの中で赤丸付きがこの映画だった」

──ビョルンを説得するのは難しかったのではないですか。彼にとって過去や私生活について明かすことは簡単なことではないはず。

KP「確かに。だから撮影には5年をかけた。あたかも彼の人生という名の家があって、時間をかけて異なる部屋に招き入れてもらうような作業だった。低予算だったけれど、あったのは時間だ。彼の心の準備ができるまで待ちながらじっくり撮影した」

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