中村吉右衛門さん
中村吉右衛門さん

 歌舞伎界の星がまた一人、旅立った。弁慶や谷直実など多くの当たり役を持ち、ドラマ「鬼平犯科帳」でもお茶の間に愛された人間国宝・中村吉右衛門さん。芸に対する厳しさと、舞台裏での優しさと。二つの面を持ったその素顔を振り返る。

【写真】「熊谷陣屋」で熊谷直実を演じる吉右衛門さん

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 歌舞伎俳優で人間国宝の中村吉右衛門(本名・波野辰次郎)さんが11月28日、心不全のため死去した。77歳。3月の歌舞伎座「楼門五三桐」で石川五右衛門を演じたのが、最後の舞台となった。

 この五右衛門役をはじめ、「熊谷陣屋」の熊谷直実、「仮名手本忠臣蔵」の大星由良之助など、これぞ歌舞伎といわれる演目の当たり役を多く持ち、歌舞伎界を代表する立ち役として、また、「鬼平犯科帳」の長谷川平蔵役、NHKの時代劇「武蔵坊弁慶」の弁慶役など時代劇ドラマでも活躍した。

 吉右衛門さんは1944年、八代目松本幸四郎(初代松本白鸚)の次男として生まれ、母方の祖父で、名優といわれた初代中村吉右衛門の養子になり、屋号「播磨屋」を継ぐ宿命を負う。48年、4歳で中村萬之助を名乗り、初舞台を踏んだ。

 青春時代にはフランス人女性と恋に落ち、フランスで暮らすことも考えた。父や兄(松本白鸚)とは違い、「自分には才能もないし、役者には向かないのではないか」と悩んだと、みずから語っているが、22歳で吉右衛門を襲名してからは、重圧を背負い、芸ひとすじに歩いてきた。

 とはいえ、前述の「自分は役者に向かない」との思いが拭いがたくあり、加えて兄とのライバル意識もあり、屈折した思いでいたことが、残されたエッセーやインタビューの端々から伝わってくる。

 だからなおのこと、人一倍の精進を重ねるのだが、その姿を近くで見てきた人は、鬼気迫るものを感じたという。

 この努力の甲斐あって、歌舞伎本来の型に加えて、優れた心理描写と巧みなせりふ回しとで、かけがえのない役者となった。口跡を絶賛される片岡仁左衛門(孝夫)さんとはまた違う、説得力ある魂のせりふ回し。本業の歌舞伎はもちろん、テレビドラマでもナレーションの仕事でも、せりふで人の心を打つ役者だった。

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