兄の加藤久仁彦さん(左)とレコーディングにのぞむ高道さん(1995年7月)
兄の加藤久仁彦さん(左)とレコーディングにのぞむ高道さん(1995年7月)

「あずさ2号」での鮮烈なデビューからもうすぐ45年。「狩人」結成のいきさつから兄弟の不仲説、CMで話題の「夢グループ」との意外な関係、コロナ禍でのライブ活動再開にいたる経緯まで、高道さんが真相を明かした。

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 1977年、17歳の時、兄・加藤久仁彦さん(65)とのデュオグループ・狩人でデビューした高道さん。「あずさ2号」を大ヒットさせ「レッツゴーヤング」(NHK)などの人気番組で活躍した紅顔の少年も、今では61歳の堂々たるベテランシンガーだ。

 狩人結成のきっかけについて高道さんは「歌手を目指して兄と一緒に上京した頃は貧乏のどん底でした。初めはお互いソロ志向だったんですが、レッスン代が払えなくて先生に『もう辞めたい』と言うと『兄弟一緒にやるなら1人分のレッスン代にまけるから』と提案されてデュオになったんです」と語る。

 思いがけずスタートしたデュオ活動だが、二人で歌ったデモテープは当時、ピンク・レディーなどを手がけ絶頂だった作曲家・都倉俊一氏の耳に留まり、とんとん拍子でスターへの道が開かれていった。「あずさ2号」が日本レコード大賞新人賞を獲得し、続く「コスモス街道」「若き旅人」もヒット。憧れだった「NHK紅白歌合戦」にも2年連続で出場する。

 しかし歌手としての成功は必ずしも精神的な充実にはつながらなかったようだ。「あの頃の兄弟仲は最悪でしたね。ささいなことでしょっちゅう言い合いになって、一緒に取材を受けていても机の下では蹴り合っていたりね。元々、お互いソロ志向だったこともあって、本当にやりたいことができないというフラストレーションが常にありました」(高道さん、以下同)

 確執は周囲にも伝わっていたようで、メディアではたびたび兄弟の不仲説が報道された。「歌手、ミュージシャンとしての兄は本気で尊敬してるんです。兄がいなかったら僕もこの道に進んでいなかったと思うし、喧嘩がしたいわけじゃない。それまでも徐々にソロ活動は増えていたのですが、お互いやりたかったことに思い切り取り組めるよう2007年に一度デュオを解消しました。これがお互いにほど良い距離感を作るいいきっかけになりました」

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