森本敏さん(右)と林真理子さん (撮影/写真部・高橋奈緒)
森本敏さん(右)と林真理子さん (撮影/写真部・高橋奈緒)

 60年間一貫して安全保障の道を歩んできた元防衛大臣の森本敏さん。一時期、外務省で働いていた時期もある異色の経歴の持ち主でもあります。作家・林真理子さんとの対談で、自身のキャリアや職業観を語りました。

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林:先生は防衛大を出て自衛隊に入られて、そのあと外務省に行かれたんですね。

森本:私は変わった経歴を持っておりまして、防衛大を出たあと航空自衛隊の戦闘機部隊に行きました。その後、航空自衛隊幹部学校の指揮幕僚課程を経て部隊に戻されたんですが、ある日、外務省への異動が発令されて、外務省アメリカ局に出向することになりました。

林:外務省ではどんなお仕事をされていたんですか。

森本:アメリカ局の安全保障課に勤務し、主に在日米軍や国防面での分析などを担当しました。出向したその日から国会答弁を書く仕事をやらされ、局長について国会に行くという仕事で、2年間やりました。2年たったとき、「防衛省に帰らなくていい。このまま外交官になれ」と言われ、アメリカ研修を受けるためにボストンに行きました。そのとき、ハーバード大学で教授をなさっていた小和田恆さん(当時は駐米大使館公使)のお宅に招いていただきました。そこでビールなんかを出してくださったのが、今の皇后さまでした。

林:まあ、雅子さまに。

森本:そのあとワシントンの日本大使館に勤務して、上級の外交官になりました。アフリカ勤務を終えて本省に戻り、湾岸戦争を担当しました。このあとは外務省にいても、どこかの国の大使になり、定年を迎えるでしょう。私は一生をかけて安全保障の仕事をやりたかったので、その道は選ばず、外務省をやめて野村総研に入り、大学でも教えるようになりました。

林:大学の先生をなさったんですね。そのあと民間人初の防衛大臣になったわけですか。

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