森下典子さん
森下典子さん

「週刊朝日」を代表する連載のひとつが、1978年にスタートした、ホントにあった仰天話「デキゴトロジー」ではないだろうか。連載初期を支えたエッセイストの森下典子さん、「だいたい創刊100周年」の本誌に帰還です。

【週刊朝日で連載された「典奴」の名を冠した突撃コラム】

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 1978(昭和53)年秋。当時大学4年生、第2次オイルショックの影響もあり、就職活動が全敗、就職浪人がほぼ決定した森下典子さん(65)は、銀座・数寄屋橋交差点で、当時有楽町駅前にあった朝日新聞東京本社(現有楽町マリオン)を眺め、こんなことを思わずつぶやいたそうだ。

「こんな東京のど真ん中で働ける人がいるというのに、私はどこからもいらないって言われたんだよなぁ……」

 その年の暮れ、夫が朝日新聞社につとめる近所のおばさんが、こんなことを言ってきた。

「週刊朝日で始まった新連載で、おもしろい話を拾い集めてくれる人を探しているんだって」

 見上げてため息をついたビルに、足を運ぶことになった。

「アンタ、最近身近にオモロいことあった?」

 関西弁でたずねてきたのが、その新連載、「デキゴトロジー」を立ち上げた、のちの週刊朝日編集長、当時はまだ若手編集部員だった穴吹史士(ふみお)氏だった。穴吹氏は、世の中は“出来事”で満ちており、ニュースにもならない市井の人々の出来事こそ、“ケチで小心、かつゴマスリ、でなかったらスケベ”といった、人間の本質をとらえているのではないかというところに目をつけた。そして、それは、千年昔の「今昔物語」に記された出来事から変わっていないのではないかと。

<いわば、千年後の人々に向けた『今昔物語』である>(文庫『デキゴトロジー』から)

 森下さんは、こうして“現代版今昔物語”の書き手の一員となった。のちに“ニッセイのおばちゃん方式”と呼ばれる、身近な人をとにかく巻き込んでいくスタイルで、「何かおもしろい話ある?」と、身近なネタをかき集めまくった。

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