瀬戸内さん、死なないでほしい。瀬戸内さんがいなくなったら、冥途の風はまっすぐに私に向ってくるのよう……。若い人たち(八十代も私には若い人)はそれを聞いて笑っている。仕方なく私も一緒に笑う。笑いつつ寂寥感に耐えている。

 一方瀬戸内さんといえば、「死ぬのは怖くないですよ。どんな悪いことでもお釈迦サマが何でも許して下さって大きく抱き取って下さいますよ」なんて天衣無縫に死を待っている様子でした。私はお釈迦サマなどどうだっていい。まだ私は生きているのだから、お釈迦サマのことを考えるより、冥途からの風を遮る衝立の方が大切なのです。

 まあ半分は冗談として、そんなことをいっていたのです。瀬戸内さんという衝立がいなくなることなど実感として考えられなかったのです。そんなところへ、いきなりの訃報です。今まで沢山の友人の訃報に接してきたけれど、こんなに喪失感に打たれたことはありません。我ながら意外に思うほどでした。私たちはそんなに仲よくつき合っていたという仲ではなかったのですから。最後に会ったのは出版社が企画した対談でした。その時瀬戸内さんはいいました。

「佐藤さん、死んだら無になると思ってる?」

 私は死後の世界を信じている者ですが、それを語ると面倒くさくなるので、「何いってるの、坊さんが私にそんな質問するなんて。私の方が訊くことでしょう」といってごま化してしまいました。その後で食事会があってゆっくり二人で話す機会がないままに別れてしまいました。

 瀬戸内さんの質問に対していい加減にあしらってしまったのがとても心残りです。彼女は死について私のような者の考えを聞きたがった。その気持が今痛切に胸に響きますが、しかし彼女は先輩として一足先にその世界を知ってしまったので、それはそれでいいのでしょう。私はそう思うことにします。

 間もなく私もそちらへいきます。

週刊朝日  2021年11月26日号