原一男監督 (撮影/写真部・高橋奈緒)
原一男監督 (撮影/写真部・高橋奈緒)

 上映時間、6時間12分。「ゆきゆきて、神軍」の原一男監督の「水俣曼荼羅(まんだら)」が公開される。「水俣を描いた映画ですが、ああ面白かったと言ってもらえるのが最高の褒め言葉だと思っています」と語る原監督に「今、水俣を撮る意味」を聞いた。

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 原監督が撮影を開始したのは、2003年。「和解」を拒否し、国や本県の責任を問う裁判を続ける訴訟団の支援者から求められ、現地に足を運んだのがきっかけだった。撮影に15年、編集に5年をかけた映画がようやく公開となる。こんなに長期の撮影になるとは原監督自身、考えもしなかったという。

「現地をいろいろ案内してもらうまでは、水俣病はもう終わった話だと思いかけていたんです。けれども、そうじゃなかった」

写真は「水俣曼荼羅」から (c)疾走プロダクション
写真は「水俣曼荼羅」から (c)疾走プロダクション

 戦後の高度経済成長の黒い裏面ともいえる「公害」。その象徴でもある水俣病をもたらした加害企業チッソと、被害を放置し続けた行政の責任を問う裁判闘争、そこに関わる人たちを描き出した大作だ。「怒り」をともなう題材ではあるが、原監督らしいというか、意外なほど「笑顔」の場面が多い。試写室で笑いの波が起きたのも二度や三度ではなかった。

 なかでもチャーミングなのは、15歳のとき手足のけいれんなどを発症した男性患者の「生駒さん」だ。「いちばん私たちを喜んで迎え入れてくれたひとですね」と原監督。

 その生駒さん夫婦が新婚旅行に行った旅館に誘いだし、豪華なお膳を前にインタビューを試みる。その前に、生駒さんひとりに原監督が話を聞く場面がある。「初夜はどうでしたか」と尋ねられた生駒さんが、照れながら「もう何もできなかったですよお」とこたえる。ユーモラスで人間味の表れる場面だ。

「もちろん、いきなり聞いたわけじゃないですよ。何度も会って、生駒さんの人生について聞いていました。ヨメさんが欲しかったというのを。そうした流れがあって、あの日も新婚旅行のことをうれしそうに語るんですよね。下ネタというのは、その人らしさを見せてくれるものだと思っているものですからね。いまなら聞いても大丈夫と思ったんですよね」

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