西鹿児島発東京ゆき「はやぶさ」(1979年、静岡県三島市) (撮影/原武史)
西鹿児島発東京ゆき「はやぶさ」(1979年、静岡県三島市) (撮影/原武史)

 昭和天皇の極秘の伊勢行き、鶴見俊輔と竹内好の駅弁論争、永田洋子が長岡から北海道へ渡ったルートなど、博覧強記の鉄道知識で知られざる近現代史をあぶりだす原武史氏の好評連載が書籍化された。これを機に保阪正康氏と語ってもらった。

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保阪:朝日新聞土曜別刷り「be」に連載中の「歴史のダイヤグラム」は半藤一利さんの勧めで読んでいました。今回新書になったのでまとめて読んでみましたが、あらためて面白いですね。

 関東大震災後に兵庫県に移住した谷崎潤一郎は、東京から自宅に戻るのに夜行の普通列車を利用していますが、短時間に遠くまで行くスピード旅行ではなく時間をかけて回る鉄道旅行を提案したというエピソードが紹介されています。僕は大学が京都で、故郷の札幌に帰省する際には特急や飛行機ではなく大阪・青森を結ぶ列車「日本海」に乗っていました。大阪から青森まで20時間くらいかかったでしょうか。

原:当時はすごく時間がかかりましたね。

保阪:裏日本を走るその車中で、初めて社会というものを知りました。4人掛けのボックス席に座っていると、いろいろな人が乗ってくる。秋田あたりで乗ってきた農婦が「なんだと思ってるんだ、私をばかにして」と独り言をぶつぶつ言うのですが、姑の悪口なんだね。耐えられず家を飛び出て、実家に帰るのでしょう。新潟あたりからはサラリーマンが乗ってきて通勤列車のようになったりと、「日本海」は人生勉強になりました。

原:私が大学生のころは、東海道本線に東京と岐阜県の大垣を結ぶ夜行列車がありました。その上り列車に乗ったとき、午前零時を回るころに静岡県の焼津から静岡まで女性の2人連れとボックス席で乗り合わせたことがあります。話の内容から察すると、どうやら遠洋漁業の町である焼津で漁師さんを相手にするスナックのような店で働いている女性らしい。そういった普段まったく接したことがない人たちと会うという、ドラマのようなことはありました。

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