春風亭一之輔・落語家
春風亭一之輔・落語家

 落語家・春風亭一之輔氏が週刊朝日で連載中のコラム「ああ、それ私よく知ってます。」。今週のお題は「パスポート」。

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 海外に行ってパスポートを失くすとかなり大変らしい。名作「アドルフに告ぐ」(手塚治虫)でも、客船で上海を経由してリトアニアに渡ったパン屋のオヤジさんがパスポートをスラれ、そこを警察に職質されてえらいことになっていた。何がなんだか分からない人は是非「アドルフに告ぐ」を読んで欲しい。

 2013年のヨーロッパ公演。メンバーは私と後輩の春風亭ぴっかり☆にスタッフが3名。空路と鉄道を乗り継いでの数カ国を巡るツアーだった。ドイツでの公演を終え、次のベルギーへ向かうべく特急電車に乗り込む。通路を挟んだ両側のボックスシート。8人掛けに5人で座り、空席には荷物を置く。車内は空いていたので問題なし。ケルン大聖堂のあるケルン駅着。しばし停車するらしく、私以外のメンバーはトイレに行ったり、ホームに降りて記念撮影したりしていた。「荷物見ててください」と言われ、ぼんやり荷物を見ていた私。ボックスシートの間の通路、私の真横をお爺さん・お婆さん・お父さん・お母さん・子供3人……というサザエさん一家みたいな家族が通り過ぎていった。戻ってきたぴっかり☆が「カバンが無い……」。全員が一斉に私を見る。「いや、ずっと見ていたよ……」。どうやらさっきのサザエさん一家が通過する間に、その中の一人(恐らくカツオ)が私の斜向かいに置いてあったカバンを持っていったようだ。ホームにいたメンバーは、電車から降りてくるサザエさん(泥棒)一家を見かけたという。ケルン駅で乗って、そのままかっぱらって後部出口から下車。電車はとうに出発。しめしめとサザエさん一家。これが置き引きの常套手段らしい。

「パスポート……」。恨めしそうに私を見るぴっかり☆。見てろって言われたから見てたんだ、オレは。次のアーヘン駅で降り鉄道警察へ。両腕タトゥーだらけの屈強なポリスマンが事情聴取。「シゴトハナンダ?」「パフォーマーです」「ナンカデキルノカ?」「パントマイムとか……」「ヤッテミロ」。とりあえずその場で『蕎麦を食べる真似』をした。ズルズル~。「キタナラシイナ! キレイニクエ、ニホンジン!」みたいなことを言われ、「オレダッタラコウヤル」とポリスはチキンを食べる真似を見せてくれた。ノリも良く、無事に届けはできたが「デテコナイゾ(笑)」とポリスマン。

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春風亭一之輔

春風亭一之輔

春風亭一之輔(しゅんぷうてい・いちのすけ)/落語家。1978年、千葉県生まれ。得意ネタは初天神、粗忽の釘、笠碁、欠伸指南など。趣味は程をわきまえた飲酒、映画・芝居鑑賞、徒歩による散策、喫茶店めぐり、洗濯。この連載をまとめたエッセー集『いちのすけのまくら』『まくらが来りて笛を吹く』『まくらの森の満開の下』(朝日新聞出版)が絶賛発売中。ぜひ!

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