日本シリーズ完全試合を目前にした投手を九回で降板させ、ドラフトでは将来性のある高校生より即戦力の社会人選手を指名する。選手もファンも首を傾げた、あの采配は何だったのか? 2004年から8年間、中日ドラゴンズの監督を務めた落合博満さんを、十数年の時を経て描いた。
「最初は、とんでもない人だな、という印象で、正直あまり好きではなかったんです」
鈴木忠平さんは当時、日刊スポーツの記者として中日を担当していた。番記者は情報が命なのに、落合監督が就任してから、選手のケガによる欠場が発表されなくなり、球場で監督に問いかけても素通りされてしまう。
それが担当して3年たち、一対一で話せるようになると、新聞には書けない采配の裏側の面白みが見えてきた。チームの強さの背景には、人情やロマンではない合理的な判断があった。発表するあてはなかったが、鈴木さんはメモを残し始めた。そのメモと新たな取材から生まれたのが、このノンフィクション『嫌われた監督落合博満は中日をどう変えたのか』(文藝春秋、2090円・税込み)だ。
理路整然と持論を展開する監督自身の言葉より、周りの人の「揺れ」を書こうと、当時の選手や球団スタッフの証言で各章を構成した。監督に救われた選手、あんなに真っ当なことを言う人はいないと共感する人もいれば、彼の価値観を受け入れられない人もいる。
ただ、不思議なことに誰もが当時のことを鮮明に記憶していた。
「選手、スタッフにとっても忘れられない監督だったんだと思います。自分もあんなに緊張した日々はなかったなあ」
顔と名前を覚えてもらっても、最初の緊張がずっと続いた。優勝を前にしたある日、監督が自宅からチームが投宿するホテルに向かうタクシーに同乗させてくれたことがある。しかし、監督はイヤホンをして目を閉じたまま、29分間、ひと言も話さなかった。
「では、なぜ乗せたんだろうと思いましたが、この沈黙を原稿に書けということなのかなと。話してくれるときも説明をしない方なので、言葉を持ち帰って何日も意味を考えていました」