半世紀ほど前に出会った99歳と85歳。人生の妙味を知る老親友の瀬戸内寂聴さんと横尾忠則さんが、往復書簡でとっておきのナイショ話を披露しあう。
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◆横尾忠則「創造するということは透明人間になること」
セトウチさんのピンチヒッター、まなほ君へ。
先週に続いて今週もよろしくお願いしますよ。センセはこの際、ゆっくり身体も頭も休めていただくとして、さて、どうしましょう。あなたの疑問のセンセがおっしゃる「嘘を書くのが小説家」と言って、作家の身辺の事実を面白おかしく「創作」してしまって、あなたが「違いますよ!」と反論したくなる、さあ困りましたね。
僕も絵を描く合間にエッセイを書くことがありますが、それを職業にしているわけではないので、気分転換と健康のための趣味と考えています。絵は本性がそのまま表れてしまうので嘘のつきようがありません。正直になろうと思わなくても、絵そのものが正直なのです。絵は自己の思いに忠実です。
じゃ、それに対して、エッセイで嘘でも書くか、ということになりますが、このエッセイというのも絵に似ていて嘘がつけません。その点、「嘘を書くのが小説家」という小説家はいいですね。絵は嘘の思いや考えを持っているとそのまま絵に反映してしまうので、心の中身をそのまま露出しているようなものです。絵は常にバレバレです。
小説家の中でも小説と混同してしまっているのか、エッセイでも嘘を書く人もいるようです。小説で嘘をつかれても、それが創造された表現であればあるほど、その嘘が光り輝いて芸術になることがありますが、小説家は頭のいい人が多いので、日常生活そのものも創造領域に組み込んで、そこでも嘘をつく。この嘘は人を騙(だま)す目的も多少あるとしても、どこかで受け線を狙った妙な大衆意識がそうさせるようです。
中でも売れっ子作家になると常にスポットが当たっていないと自己の存在意識が危ぶまれるようです。だから、ついあることないことをしゃべって注目を求めるのです。僕の知っているある有名な小説家は毎日、新聞に、テレビ欄でも広告でもいい、自分の名前が出ていると、その一日は安泰なのです。業の深い職業ですよね。