塩見三省さん (撮影/写真部・高橋奈緒)
塩見三省さん (撮影/写真部・高橋奈緒)

 8月20日。晴れ。東京最後の日。いつものベンチに座って、大川端の夕焼けを眺めていた。夕暮れ時は、一日の中で一番好きな時間。自分の東京に対する感慨を、すべてそこに置いていこうと思い、「さらば東京!」と心の中でつぶやいた。ミンミンと、蝉の声が響いていた。

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 この夏、俳優の塩見三省さんは50年間住み続けた東京を離れ、妻の実家を改築して横浜に移り住んだ。眼下に隅田川を望む中央区の高層マンションから、横浜の住宅街にある一軒家へ。その理由について、「都会の喧騒から離れて、もっと人生の“余白”を楽しむ気持ちになったのかもしれない……」と、熟考しながら、淡々とした口調で話す。

 脳出血による左半身の麻痺により、手足に大きな障害を負ってから7年の歳月が流れた。取材の日、インタビューの部屋に現れた塩見さんは、杖を支えにして、ゆっくりと歩みを進めていた。

 発症後は、懸命なリハビリの末、映画「アウトレイジ 最終章」で復活を果たし、その後もドラマ「この世界の片隅に」や大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」などに出演しているが、新たに、自身を再生へと向かわせる“本”を生み出したことも、東京を離れるきっかけの一つになった。脳出血、闘病、リハビリの日々から俳優として復活するまで。そして岸田今日子さんやつかこうへいさん、大杉漣さんなど、この世を去ってしまった大切な人たち、今も一緒に生きる大好きな人たちのことを綴ったエッセー『歌うように伝えたい 人生を中断した私の再生と希望』を上梓したのだ。

「発症したときからずっと、死ぬことばかり考えていましたからね。それが、徐々に“生きなければならない”と思うようになった。時の流れに伴う、その気持ちの変化を書きたかった。コロナもそうですが、ある日突然、日常が奪われ、人生を中断せざるを得なくなって呆然としている人たちがいる。書いているうち、その苦しみの中から立ち上がって、復活と再生をするため、懸命に生きる姿を意識することで、『そうか、苦しみと闘っているのは自分一人ではないんだ』という気持ちが生まれてきたんです」

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