※写真はイメージです (GettyImages)
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 小説家・長薗安浩氏の「ベスト・レコメンド」。今回は、『沢村忠に真空を飛ばせた男 昭和のプロモーター・野口修 評伝』(細田昌志著、新潮社 3190円・税込み)を取り上げる。

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『沢村忠に真空を飛ばせた男』は、副題にあるように、野口修の評伝である。彼の生涯を短くまとめれば、<キックボクシングを創設し、沢村忠と五木ひろしを世に送り出した昭和のプロモーター>となる。

 野口が生まれた昭和9(1934)年1月、父親の進は、若槻礼次郎元首相への殺人未遂罪で獄中にいた。進は犯行時、日本一の人気を誇る拳闘家でありながら、右翼団体に所属していたのだ。出所後は、服役中に結びついた児玉誉士夫の誘いを受け、一家で上海の日本租界に移住。野口興行部なる会社を興して現地の日本兵むけに慰問興行を催し、ディック・ミネ、淡谷のり子などを招聘した。戦後は、三迫仁志を擁して野口拳闘クラブを立ち上げ、29年には、日本ボクシング使節団の団長としてマニラに遠征している。

 本書の魅力は、野口修には申し訳ないが、この父親にあると私は思う。稀代の拳闘家にして右翼活動家、そして芸能事務所の経営を経てボクシングジムを興し、日本チャンピオンを育てた進。そんな男を父親にもった息子は、強烈なエディプスコンプレックスを抱えていたのではないかと推察する。

 父から学び、父が遺した人脈を活かしながらも、自分なりの才覚と交渉力で新たな分野に挑んだ息子、修。沢村と五木はその成果の象徴なのだが、野口家二代にわたる波瀾万丈の顛末は、そのまま昭和史の陰と陽を生々しく見せつける。それは、著者の細田昌志が取材と執筆に10年を費やして資料にあたり、当事者や遺族たちに粘り強く話を聞きつづけた証でもある。

 本書が今年度の講談社本田靖春ノンフィクション賞に輝いたことを大いに喜びたい。

週刊朝日  2021年9月17日号