球宴前日のホームラン競争に参加した大谷(Getty Images)
球宴前日のホームラン競争に参加した大谷(Getty Images)
球宴では史上初の二刀流での出場で勝利投手にもなった(Getty Images)
球宴では史上初の二刀流での出場で勝利投手にもなった(Getty Images)
1995年、日本人初の球宴出場で先発した野茂英雄(C)朝日新聞社
1995年、日本人初の球宴出場で先発した野茂英雄(C)朝日新聞社

 打って、投げて、ほほ笑んで。世界最高峰の舞台で、これほどの偉業を軽々と楽しげにやってのけ、みんなに愛されたプレーヤーがかつていただろうか。後半戦に入っても34号本塁打を放つなど好調をキープし、異次元の活躍を続ける「2021年の大谷翔平」のすごさを、大リーグ評論家の福島良一さん(64)に語ってもらった。

【大谷選手の写真をもっと見る】

 オールスターゲームのホームラン競争は1回戦で敗退しましたが、大谷選手は500フィート(約152メートル)超えが6本で史上最多。打球速度の平均は110.9マイル(約178.5キロ)で、出場8選手の中で最速でした。史上初めて「二刀流」としてスタメン出場した本番は、先発して最速100.2マイル(約161.3キロ)をマーク。打撃は残念な結果に終わりましたが、総合的にはじゅうぶん「歴史を作った」と言えます。
 
〈興奮冷めやらぬ様子で振り返る福島さんが、大リーグのとりこになったのは1968年。小学6年生のときだ。日米野球で来日したカージナルスと全日本の試合を後楽園球場で観戦し、華やかなアメリカン野球に魅せられた。高校2年のとき、父親に連れられ73年のオールスターゲームを本場で初めて見て以来、毎年のように渡米して大リーグ観戦を続けてきた〉

 73年にオールスターゲームの観戦ツアーというのがありまして、そこに大リーグ通だったパンチョ伊東さん(伊東一雄、元パ・リーグ広報部長)が同行する予定だったんですけども、催行人員に達しなくて中止になったんです。でもどうしても見に行きたくて旅行会社の担当者にお願いをしたら、伊東さんが貴重なオースルターの切符を手配してくださって、父親と2人で見ることができたんです。ゲームが行われたのは北米大陸のど真ん中、カンザスシティーでその年開場したばかりの超近代的なロイヤルズ・スタジアム(現カウフマン・スタジアム)。本当に別世界でした。
 
 まさか、こんな時代が来るとは夢にも思いませんでした。野茂で驚き、イチローでさらに驚いた。でも大谷ほどの、これほどの大きなスケールの驚きはないし、今後二度とないんじゃないかと思うぐらいです。

次のページ
大谷を超えるのは大谷だけ