この内容は、民主主義・国民主権体制下での君主の振る舞いとして考え抜かれたものでもあった。「上から」命ずることなく、また単なるロボットでもないとすれば、君主にはどんな存在意義があるのか。どんな言葉で国民に語り掛けることができるのか。「おことば」は一つの答えだった。それは、戦前の天皇制が国民の思考を規制し狭隘化したのとは正反対に、国民に考えさせるきっかけとなりうる内容に満ちていたからである。

 だが、読み取られなかったのは、まさにこの次元だった。国民統合の危機が切実に訴え掛けられたことが認識されたならば、その危機を直視すること、それを克服するためには何が必要なのかを思考すること、そしていまの権力に危機を克服する力がないどころかその元凶であることの認識へと、国民は向かい得たであろう。しかし、長年維持されてきた異形の対米従属レジームによって劣化した社会に生きてきたわれわれには、メッセージの核心を受容するに足る感性が枯渇していたのであった。

 ちなみに、2020年夏に、安倍晋三が体調不良を理由として総理辞任の意思を表明するや否や、コロナ対応への不満から下がり続けていた支持率が大幅上昇したという国民の反応と、「おことば」への反応は軌を一にしている。「長い間お疲れ様でした」とか「体が大変でお気の毒だ」といった感情論しか、そこにはない。マッカーサー元帥の「12歳並み」という評言はまさに正鵠を射ている。言葉の文脈を探り、真偽を見極め、語られずして語られた事柄を受け取るという知的営為は徹底的に不在だ。ゆえに、安倍への「同情」は、天皇への「労い」の茶番的な反復にほかならなかった。
 
 こうして国民の反知性主義を奇貨として安倍から菅へと継承された暗黒の権力体制は今日、己の無能と腐敗をさらけ出しながらただひたすらに自己維持のみを目指しているが、いよいよ自らの壊死した腐肉を支えきれなくなってきている。東京五輪とは、その腐肉に付けられた名前なのだ。この腐肉をゴミ箱に叩き込むことは、われわれが近代日本の奇妙な発明物、「国体」を今度こそ克服するために避けて通れない過程なのである。

■白井聡(しらい・さとし)/1977年、東京都生まれ。京都精華大学国際文化学部人文学科専任講師。専門は政治学、思想史。著書に『主権者のいない国』(講談社) 、『武器としての「資本論」』(東洋経済新報社)、『国体論―菊と星条旗』(集英社新書)など

週刊朝日  2021年7月30日号に加筆