阿武野勝彦さん (撮影/朝山実)
阿武野勝彦さん (撮影/朝山実)

「変わっているとは子どもの頃から言われてきましたね。ぼうっとしているだとか」

 父親は静岡県伊東市内の寺の住職で、インチキな中国語でぺらぺら話しかけては檀家さんたちを楽しませる人だったという。その三男坊がテレビマンとなり、仕事生活40年の足跡を綴った本書『さよならテレビ ドキュメンタリーを撮るということ』(平凡社新書、1210円・税込み)。

 観客1万人でヒット作とされるドキュメンタリー映画の世界で、26万人動員の「人生フルーツ」(2016年放送、17年ロードショー)など、地方局のドキュメンタリーながらも、次々と劇場公開される作品を主導してきた東海テレビの名物プロデューサーだ。その実績から辣腕と思われがちだが、「もごもご」としゃべる子だった。「だからアナウンサーとしてスタートしたけど短命でした。だけども、インタビューでは吃音が良くなることがあるんですよ」

 カメラの前で緊張した相手が、自分の吃音に表情を和らげる。以来、物事のマイナス面だけでなく、プラス面も見ることができるようになった。

 ヒット作のひとつ「ヤクザと憲法」(15年放送、16年ロードショー)は、暴対法施行後の組事務所に取材班が密着し、彼らの暮らしを映し出した異色作だ。本書を読めば撮影の大変さがよくわかる。たいていのプロデューサーならトラブルを予感して躊躇(ちゅうちょ)するところ、ゴーサインを出した。

 子どもの頃、「社会見学だ」と父親に連れられて、大人の世界に触れてきた。本堂で営まれた参列者二人きりの親分の葬儀を見たり、小坊主として檀家の家々をお経を上げて回ったりした経験が、「テレビ界の変わり者」を支えているようだ。

 樹木希林さんとのつながりも深かった。18年9月16日に死去の知らせを受け、その5カ月前に米国ロサンゼルスでの映画上映会に誘ったときのことが甦る。がんで酒が飲めなくなった希林さんがホテルで、メニューにないレモネードを注文するのを見て、和製英語ではないかと指摘したところ、「あるわよ。海外で頼んだことがあるのよ」と言い返された。その時の二人の顔が浮かんでくるようだ。

 希林さんに出演してもらった「神宮希林」(13年放送、14年ロードショー)は、20年に1度の伊勢神宮の「式年遷宮」を見に行く企画で、希林さんの自宅に初めて外部のカメラが入った作品だった。「見たいでしょう」とモップで床を掃除しながら、夫の内田裕也さんの部屋まで案内してくれた。完成後「これがあるから自叙伝は書きませんと言えるわねえ」と語っていたという。

 記者が、掃除をしているとあの場面が浮かぶというと、「飼い犬の毛が抜けるので、僕も毎朝モップを使うんですけど、そのときにばぁば(希林さんの愛称)が降りてきます」と応じた。

「そういえば、うちの父と似ています。『見たいでしょう。案内したげるわ』とさっさと動いている。そのサービス精神がね」

(朝山実)

週刊朝日  2021年7月23日号