母校の日本大学法科大学院の前に立つ上治信悟さん(本人提供)
母校の日本大学法科大学院の前に立つ上治信悟さん(本人提供)
勉強を始めて最初に買った小六法。何度も条文を読み、書き込みをして意味を理解していった
勉強を始めて最初に買った小六法。何度も条文を読み、書き込みをして意味を理解していった
自室にて(本人提供)
自室にて(本人提供)

 この春から司法修習生となり、弁護士を目指している上治信悟さん(63)は長く事件取材に携わり、海外特派員も経験した元朝日新聞記者。50代で一から法律を学び、9年かけ、4回目の挑戦で昨年の司法試験に合格した。だがキャリアチェンジの道のりは甘くはなかった。合格までの苦闘と、これからへの思いをつづってもらった。

【写真】勉強を始めて最初に買った小六法

 私は朝日新聞社で主に編集畑を歩いてきた。その私が2010年に全く畑違いの知的財産部門のマネジャー(部長)になった。異動を告げられた時、編集に戻る希望が砕かれ、がっくりきた。

 不安を和らげるためか「部下は優秀だから、ハンコだけ押していればいい」と言ってくれる上役もいた。しかし、ハンコだけの仕事はつまらない。そこで、著作権の勉強を始め、知的財産管理技能士などの資格を取った。

 実際、仕事はハンコだけではなかった。最も時間とエネルギーを費やしたのは渉外である。日本新聞協会新聞著作権小委員会の委員長や幹事として、著作権法改正について他の著作権団体と連携し、文化庁に意見書を出したり、国会議員に働きかけたりした。日本音楽著作権協会(JASRAC)との使用料金交渉は3年かかった。

 交渉し、説得するのは新聞記者のころからやってきた。のめり込むうちに面白くなった。ちょうどそのころ、50歳代半ばになり、サラリーマン人生の先が見えてきた。まだまだ働くつもりだったが、当時の定年は60歳。「このまま終わりたくない」と考えていた時、著作権に出会った。そして、「司法試験に合格して知的財産法やジャーナリズムに詳しい弁護士になり、定年後も仕事を続けよう」と決意し、12年、渋谷にある資格試験の予備校「伊藤塾」に夜間通い始めた。

 司法試験の受験資格を得るには二つのルートがある。法科大学院を修了するか、予備試験に合格するかである。いずれかの条件を満たせば5年間に5回、受験することができる。私は最初「近道ルート」と呼ばれる予備試験突破を目指した。

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くたびれた中年はかなわない