伊集院さんはくも膜下出血で倒れ、幸運にも生きなおしてきた。今は病気以前より、精力的に仕事を続けておられる。くも膜下出血は怖い病気で、突然倒れたら、たいてい助からない。

 わたしも五十代にかかって、幸い生きなおしてきた。今でも思い出すが、一週間毎に山場が来るのが怖かった。突然倒れて、死と同居するのだから、ほとんど、助からないと思う。四週間死ななかったら助かるといわれても、大方助からないだろうという想いが強く、絶望的になる。四週間が過ぎるのをはらはらする想いで過ごしたのが忘れられない。

 もしあの時死んでいたら、数え百まで生きながらえ白寿の祝いなどしてもらうなど、夢にも考えられないことであった。

 私は現在数え百歳で、死にそうもない。

 伊集院さんも、私の歳まできっと生きのびられるであろう。その時の小説を、読ませてもらいたいものだ。

 文章の終わりになって、伊集院さんは天下一の美女と深い縁を結ばれる男性であることを思いだした。

■横尾忠則「『どや、百歳やで!』という自慢話と聞いてます」

 セトウチさん

 今週のセトウチさんは生きるや死ぬやのアジテーションがなくてホッとしました。だけどやっぱり「百歳」コールは出ましたね。まあセトウチさんの「百歳」は煩悩じゃないのでストレスにはなりません(小声で―ちょっとうるさいけれど―笑)。「どや、まいったか、百歳やで!」という自慢話だと思って聞いています。

 僕は年に一回くらい入院します。毎回違う病名ですが、原因はストレスです。僕のストレスは同一環境(アトリエ)で絵を描いているからです。環境を変えるために公開制作でストレスを解消します。森鴎外は書斎がありません。マグリットもアトリエがありません。森鴎外の小説の多様性は環境の変化によるものです。まさか山下清みたいに放浪の画家にはなれません。僕が体調を崩す時は環境のマンネリが原因です。

 そんな時は非日常的な入院生活によって解消します。入院と同時に病室をアトリエに改造します。時には百号のキャンバスを何点か持ち込んで長期の入院に対応します。医師に看護師さんが不審に思って尋ねます。まさか「環境不変による創作減退症候群」病なんて言えません。医師は何んて説明するんですかね。そして先生に作品の題名を考えていただきます。「交感神経と副交感神経の結婚」なんて、自律神経失調症で入院した時の作品タイトルです。3年前などは10点ばかり描いたことがあります。勿論、病気は完治します。絵は治療を促進させるのです。

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