追悼・寺内タケシ 天才を超えた“エレキの神様”の素顔 (1/2) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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追悼・寺内タケシ 天才を超えた“エレキの神様”の素顔

中将タカノリ週刊朝日#お悔やみ
岩堀典明さん製作のギターを抱える寺内タケシさん(モズライト提供)

岩堀典明さん製作のギターを抱える寺内タケシさん(モズライト提供)

寺内さん(左)と岩堀さん(モズライト提供)

寺内さん(左)と岩堀さん(モズライト提供)

 6月18日、「エレキの神様」ことギタリストの寺内タケシさんが、器質化肺炎のため横浜市内の病院で亡くなった。ザ・ベンチャーズ、加山雄三らとともにエレキギターの魅力を日本に深く浸透させた82年間の生涯。晩年の活動を支えた“盟友”が神をしのんだ。

【写真】寺内さんとモズライト代表の岩堀さん

 寺内さんとギターの出会いは5歳のとき。手にしたのは、学徒動員で出征した兄が置いていったアコースティックギターだ。三味線の家元だった母の指導もあって、みるみる腕前を上げ、学生時代からプロミュージシャンとして活躍した。当時、アイドル的な人気を誇ったミッキー・カーチスのバンド「クレージー・ウエスト」を経て、1962年には自身のバンド「寺内タケシとブルージーンズ」を結成した。

 人気を不動のものにしたのは、65年の加山雄三主演映画「エレキの若大将」。加山の傍らで超絶テクニックの“速弾き”を披露する姿は、若者を熱狂させた。「津軽じょんがら節」(66年)、「運命」(67年)といった民謡、クラシックのエレキインストものまで、多彩かつ高度な楽曲を次々と発表。エレキ音楽を単なる流行ではなく“芸術作品”に押し上げた。さらには、全国各地の高校での出張コンサートや、幾度ものソビエト連邦(現ロシア)でのツアーなど、音楽を通した交流にも力を注いだ。

 そんな寺内さんのギターを製作し、晩年の活動をサポートしたのが、モズライト代表の岩堀典明さんだ。


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