森村誠一(もりむら・せいいち)/1933年、埼玉県生まれ。推理小説、時代小説、ノンフィクションと幅広く活躍する作家。10年のホテルマン生活を経て、作家に転身。以降、多くの小説を執筆する。2011年吉川英治文学賞を受賞。著書にミリオンセラー『人間の証明』『野性の証明』『悪魔の飽食』など。(写真提供・中央公論新社)
森村誠一(もりむら・せいいち)/1933年、埼玉県生まれ。推理小説、時代小説、ノンフィクションと幅広く活躍する作家。10年のホテルマン生活を経て、作家に転身。以降、多くの小説を執筆する。2011年吉川英治文学賞を受賞。著書にミリオンセラー『人間の証明』『野性の証明』『悪魔の飽食』など。(写真提供・中央公論新社)

『人間の証明』『悪魔の飽食』など数々のベストセラーを生み出した作家・森村誠一さん(88)が、自らの「老人性うつ」体験を克明に描いた新書『老いる意味』を上梓した。苦難を乗り越えて気がついた新しい「老い方」とは。書面でインタビューに答えてもらった。

【あなたは大丈夫?老年期うつで見られる主な症状はこちら】

*  *  *

──「老人性うつ」を公表することに、抵抗はありませんでしたか。

 編集者から私の体験した「老人性うつ」との闘いを書いてくれと言われたとき、一度は断ったんです。私はずっと、作品を通して夢と希望を与える作家は、自分自身の弱さを読者に見せてはいけないと思っていました。作品の中で、悪を懲らしめ、人間の善を書いてきましたから。けれども、私も88歳の老人になった。読者と同じように年を取った。本音を言えば、病気もすれば、悩み苦しむ。ここ数年は「老人性うつ」との格闘でした。読者と同じ人間として、「私も頑張るから皆さんも頑張りましょう」と正直に言いたかったのです。

──何が一番つらかったですか。

 言葉を忘れることです。作家にとって言葉を忘れることは「死」を意味します。作品は言葉のつながりですから。老人性うつ病になったときは、言葉を忘れるというより、「言葉がこぼれ落ちる」という感覚でした。

 闘病中、私は言葉を忘れないように筆ペンでノートに文字を書き散らしました。トイレや仕事場の壁、寝室の天井まで書いた文字を貼って文字や文章を復唱していました。お医者さまにも自分の病状や悩みを相談するときは、手紙を書いて報告しました。つらい日々でしたね。

──克服できた理由はなんだと思いますか。

 言葉を忘れまいと一歩ずつ元の生活へ戻れるように歩み続けた先に、光がわずかに見えてきました。手を差し伸べてくれた主治医や看護師、家族や知人に助けられた部分は多かったです。ほとんど何も食べなくなっていた私に流動食で栄養をとらせてくれたので、少しずつ体力が回復していき、気力をとりもどしていけました。

 そのおかげで闘う意志を持ち、言葉との格闘やふれあいが始められた。そうしているうちに、どんよりと濁った朝ではなくなり、いつもの朝が戻ってきました。3年がかりでした。

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