下重暁子・作家
下重暁子・作家
※写真はイメージです (GettyImages)
※写真はイメージです (GettyImages)

 人間としてのあり方や生き方を問いかけてきた作家・下重暁子氏の連載「ときめきは前ぶれもなく」。今回は、野生動物について。

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 このところのニュースで、私が一番気になっているのは、十五頭ほどの象の群れの行方である。

 中国雲南省の自然保護区から抜け出して、北上中。その間、二頭が酒造所で酒に酔い、群れから脱落したが、旅の途中で生まれた子象も含めた十五頭は、リーダーに従って黙々と歩いている。

 その歩みは確信に満ちて目的地が決まっているかに見える。野生の動物が季節や何らかの理由で、長い長い旅をすることは知られている。

 象は群れで移動する動物だが、ちょうど今が移動の時期だったのだろう。これまでの移動距離がだいたい五百キロというから、東京・大阪間の道のりを、森を越え、川を渡り、道路をいくつものりこえ、歩いてきたことになる。

 象が酒に酔うことははじめて聞いたが、二頭以外の象は、一心不乱に北を目ざしている。なぜ? どこへ?

 象の群れは、おおむね雌と子象からなり、雄は群れを離れて雄どうしで暮らすと聞いたことがあるが、あの群れに雄はいないのだろうか。

 彼らは耳のあまり大きくないアジア象だ。私は大きな耳のアフリカ象の群れをケニア郊外の早朝のサファリで見たことがあるが、突然姿を現した彼らは、ただ静かに朝露の残る草を食(は)んでいた。こちらが物音を立てるのが気になるほど穏やかな空気が漂い、音を立てぬよう、立ち去った。

 象は知能に優れた動物である。人間とも昔から親しい存在で、動物園やサーカスでも人気者。白象は普賢菩薩の乗り物としても馴染みである。人間の言葉も親しくなれば理解できるし、字や絵を描くことも知られている。

 その感覚は鋭く、人間などの及ぶところではない。

 長い鼻の先で小さなものを掴むこともできる。嗅覚にもすぐれ、長い鼻を上げて遠くの空気の匂いをかぎ分ける。そして耳。あのたっぷりした耳で様々な音を聞き分けることができるというから、道中、車が通りすぎる音も、人声も充分に分かっているはずである。

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下重暁子

下重暁子

下重暁子(しもじゅう・あきこ)/作家。早稲田大学教育学部国語国文学科卒業後、NHKに入局。民放キャスターを経て、文筆活動に入る。この連載に加筆した『死は最後で最大のときめき』(朝日新書)が発売中

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