<よい作品の導入部には、その作品の気配の手応えが早くも感じられている><よい導入部には(熟練の漁師の網打ちの手際のように)、熟練者の網打ちの手首のコツを感じさせるところがある>

 本作の桜木紫乃の手際に熟練者の技を見た思いがしたのだ。

 作家生活20年、『家族じまい』で昨年、中央公論文芸賞を受賞するなどの実力者だが、小説の舞台は北海道から離れていない。その土地のリアリティにこだわる精神が、細部にまで行き届いている。

 そのことは起承転結の承にあたる第二章、章介の亡父の遺骨をめぐるエピソードで活かされる。

 冬の釧路の丘の上にある墓地は無人で、名倉家先祖代々之墓とある墓石をずらして間借りする墓の後ろに、「サソリのテツ居士」とマジックの横書きで戒名を記す。そして寺の次男に生まれたソコ・シャネルの読経で法要というおかしみの中に、いかにもなリアリティが用意されている。

 この明るさ、太さ、地に足がついた揺るぎなさは、俳人・金子兜太が称(とな)えたアニミズムに通じる心地よさを感じさせて楽しい。

 オール讀物5月号のブックトークの欄で、

<ラジオ番組に呼んでもらった時、十九歳の頃の大竹(まこと)さんが、私の出身地である釧路のキャバレーへ営業に行った昔話をしてくれたんです。『その時のメンバーが“俺と師匠とブルーボーイとストリッパー”だったんだよ』って聞いた瞬間、生放送中にもかかわらず『その話、私に書かせてください!』とお願いしました>

 と作者はお題拝借のテンマツを明かしている。

 物語のラストがまたよい。

「元号が『平成』に変わって数日経った」ではじまる細々は紹介できないが、章介の感慨に胸打たれぬ者はいないだろう。

週刊朝日  2021年6月18日号