70代になった今、その生き方、信念が間違っていなかったことは、多くの人たちから共感され、注目されていることが証明していよう。


 沢田は音楽を通して、時代と、世間と、そして自分との闘いを続けてきたのだ。

 久しぶりの東京公演でも、歌い終えた後のMCで「ナマは違うでしょ?」と、ライブミュージシャンとして生きてきた自負をうかがわせた。

 前妻の伊藤エミさん、加瀬邦彦さん、井上堯之さん、内田裕也さん、萩原健一さん、岸部四郎さん、そしてコロナ禍で命を落とした志村けんさん……。近年、何人もの恩人、友人に先立たれている沢田にとって、ステージに立ち、歌い続けることは何よりの心の支えであり、同時に“自己証明”にもなっているのだろう。

 ライブでは、志村さんに代わって主役を務めた映画「キネマの神様」にも話が及んだ。志村さんの名こそ出さなかったものの、その後に熱唱したのは、「ヤマトより愛をこめて」だった。

「今はさらばと言わせないでくれ」

 その滔々としたメロディーは、いつもよりなお哀調深く、胸に迫るものがあった。

 沢田は8月に「キネマの神様」が封切りされた後は、京都、奈良、神戸、博多など西日本各地でのライブ開催も検討しているようだ。さらに、詳細は明かされていないが、新型コロナが収束したあかつきには「1年を通してやる仕事」というのも控えているらしい。

 2時間近くに及んだライブの終盤、シングルではないがファンの間でよく知られた名曲「いくつかの場面」を披露した。46年前に河島英五さんから提供されたものだ。

「いつも何かが歌うことを支え 歌うことが何かを支えた」

 この曲の歌詞ほど、沢田の波乱に満ちた音楽人生を如実に物語るものは他にない。

 はからずも1年4カ月のライブ活動休止を強いられ、さまざまな臆測が飛び交った。しかし、ジュリーに“停滞”という言葉は似合わない。

 ライブや映画だけでもうれしいが、できるなら新たなCD制作やさまざまな仕事にも挑んでほしい。まだまだ走り続け、ファンたちの心を最大限に満たしてくれることを期待したい。

 森本タロー(もりもと・たろう)1946年11月18日、京都生まれ。1967から1971年までザ・タイガースのギタリストとして在籍。解散後は森本タローとスーパースターを経て芸映に入社。プロデューサーとして西城秀樹、岩崎宏美などを手がけた。「青い鳥」「色つきの女でいてくれよ」などの作曲者としても知られる。近年は再結成した森本タローとスーパースターでライブ活動を続け22年目を迎える。今年8月には加橋かつみ、岸部四郎をはじめ、かつてのグループサウンズのメンバー岡本信、アイ高野、真木ひでと、三原綱木らと共に活動したユニット「タイガースメモリアルクラブバンド」の1993年3月、中野サンプラザでのコンサートを収録したDVDを発売予定。

 瞳みのる(ひとみ・みのる)1946年9月22日、京都生まれ。1967から1971年までザ・タイガースのドラマーとして在籍。グループ解散後、芸能界から引退。解散直後に高校(京都府立山城高等学校)に復学し、1年間の猛勉強で慶応義塾大学文学部に合格。文学部中国文学科を卒業後、同大文学部の修士課程を経て慶応高校で教壇に立つ。2011年に芸能界へ復帰し、ザ・タイガースのメンバーとも積極的に競演する。2021年9月20日には烏山区民会館(東京都世田谷区)でバースデーイベント『瞳みのるHa・Pee・y Birthday Event 2021 in Karasuyama』を開催予定。

(中将タカノリ)

※週刊朝日 2021年6月18日号に加筆