結成は2012年。コンビを解散しピン芸人となっていた渡辺が、同じくピンの長谷川に声をかけた。コンビ名の由来は、たまたまテレビで見た「外国人が錦鯉を爆買いしていた」というニュース。以来、酸いも甘いも一緒に経験してきた。M‐1後はずっと続けてきたバイトを辞め、多くのテレビ番組に出演するようになった。渡辺が言う。

「雅紀さんはテレビに出るべき人だとずっと思っていたので、今、僕の願いが一つかなった。錦鯉というと雅紀さんが注目されますが、それでいい。僕の代わりはいても雅紀さんの代わりはいない。冷静に考えたら、相方が僕じゃなければもっと早く決勝にいけたかもしれない」

 これに対し、長谷川は首を大きく横に振る。

「結成したころはM‐1がなくて、オーディションも受からず、売れるのは難しいと思ったこともある。そんな中で僕のことを一番わかってくれていたのが隆。隆とじゃなければ決勝に残れなかった。これからも一緒にやっていく」

「第7世代」のように若手が次々出てくる漫才の世界で錦鯉がブレークしたのは、ある意味、奇跡。突破する力になったのは、「相方」の存在だった。

 活躍の場はテレビに移ったが、今後も漫才にこだわり続けるという。

「今のお笑いはネタが複雑で難しいけど、僕らがやるのは大きな声で変なことをやってひっぱたかれるという、すごくわかりやすい漫才。頭を空っぽにして笑ってほしい。きっと1年ぐらい寿命が延びます」(長谷川)

(本誌・山内リカ)

週刊朝日  2021年6月4日号