福岡:そうなんです。プロ用の昆虫採集の網って、多段式になっていて高いところの蝶も捕まえられるんです。私はそれを持って紅頭嶼に行って、「ああ、今日も捕れないな。帰りの飛行機の時間も迫ってるし、そろそろ帰ろう」と思って網をたたみかけたんです。でも自然って意地悪で、あきらめかけたときに蝶々は来るんです。

林:ほぅ、あきらめかけたときに蝶々が来る……。いい言葉ですね。

福岡:それで網をたたむのをいったんやめて、「神様、もう一度だけチャンスをください」とお願いして青空を眺めたら、その蝶がどこからともなくヒラヒラと目の前に飛んできたので、無我夢中で網を振ったらゲットできたんです。いや~あれはもう、天にも昇る気持ちでした。

林:先生が網を持って追っかけてる写真が載ってましたけど、まるで少年のようでした。私、あの文章もすごく感傷的で素晴らしいなと思いましたよ。マウスを切り刻んでいる今の生活って何だろう、自分の原点は『ファーブル昆虫記』を読んで太陽の下で蝶を追うことだったはずなのに、という文章。

福岡:私は生命の美しさとか精妙さ、不思議さを探求するファーブルさん的な興味で生物学の道に入ったんです。でも今私が実際にやってることはマウスを殺して解剖したり、細胞をすりつぶしたり、昆虫をこまかく分けたり、つまり死の詮索ばっかりしている。今やってることは自分の原点と違うんじゃないかという、ある種の乖離を還暦ぐらいに感じたんです。そこから生き直すことが、これからの長い人生をどう楽しむかということにつながっていくんじゃないか。そう思って紅頭嶼への旅をしたんですね。子ども時代に夢中になったことを壮年時代になってもう一度思い出すことが、人生を生き直す上でとても大事だと思いますね。

林:すごくいいお話です。

福岡:私にとってヒーローと呼べるナチュラリストが3人いて、一人は今の話に出たファーブル先生。2人目が鹿野忠雄。鹿野さんは戦前、台湾の旧制台北高校に進学して、台湾に昔から住んでいるヤミ族の人たちと仲良くなって、いろんな昆虫を調査したり、民族性を踏査したり、文化人類学的なことを調査して、台湾のことをものすごく研究したんですね。特に彼の発見のすごいところは、台湾の南にある紅頭嶼という島の生態は、実は台湾じゃなくてフィリピンの島のほうに関係していることを見つけたんです。人間が引いた国境の線よりも、自然が引いた線は南の生態につながっている。「人間が引いた国境は人工的なものであって、自然をもっと虚心坦懐に見ないといけない」ということを言ったナチュラリストだったんです。

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