お互いに顔を記憶していたが、名を名乗ったわけではない。彼女は思わず咄嗟に、「ボラボラ」と叫んだ。2人の共有する言葉は、「ボラボラ」しかない。まるで映画のラストシーンだ。地球上のある一点で出会った者同士が、地球の真裏で再び遭遇する。だけどその一瞬の感動だけを残して、永遠に出会うことのない2人の運命は忘却の彼方に去っていった。

 セトウチさん、どうです、ロマンチックな物語でしょう。こんな世にも怪奇とは言いません、世にも不思議な物語が現実にあるのです。恐らくこのエピソードは彼女の心の中にも永久に刻印されて、何度も誰かに語っていることでしょう。ハイおしまい。

 とここまで書いたらまだ10行残っていました。この話はいろんな人に何回、何十回も話してきました。一生の時間の中ではほんの吹いたら消えるような小さい小さい時間ですが、僕にとっては宝物です。彼女にとっても同じ想いでしょう。そうそう最後にもうひとつフランス語を知っていました。アデュー

■亀との再会もロマン主義的でしょう

 セトウチさん、ここに2枚の写真があると想像して下さい。

 一枚は地上最後の楽園南国のボラボラ島の美しい海を背景に、ひとりのタヒチアンの美しい娘が長い髪に真赤なハイビスカスの花を飾って、ニッコリと白い歯を見せて笑っています。

 もう一枚の写真はパリの地下鉄の車中、半開きのドアの間から、こちらを見て、まるでサスペンス映画のワンシーンのように、驚いた大きい目と大きく開いた口を、ホームから狙って撮った写真です。

 僕の記憶の中にあるふたつのショットです。

 もしこの2枚の写真を見た映画の脚本家がいたら、たったこれだけの写真から映画の歴史に残るようなストーリィを仕上げて名作を作ってしまうかも知れません。

 また映画のポスターデザイナーなら、この2枚を上手く組み合わせた傑作な映画ポスターを描くかも知れません。アラン・レネでもトリュフォーでも、ルイ・マルでも誰でもいいです。ぜひフランス映画を一本撮ってもらいたいものです。僕は最近の新しい映画監督は知りません。すでに鬼籍に入った監督しか知りません。台本は個人的に仕事を申し込まれたことのあるアラン・ロブグリエに書いてもらいましょ。本当はヒッチコックがいいけれど、サスペンス映画になって、この映画に登場するかも知れない日本人が殺されたりするとヤだから。といってロブグリエは古いけれど、アラン・レネの「去年マリエンバートで」みたいなヌーベルバーグ風の映画か、それともゴダールに頼んで3D映画の、わけのわからない映画を撮ってもらうのも手かなとも考えます。

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