1930年代の日本は、現代から見ると恐慌の最中で失業者があふれ、当局による思想取り締まりが強化されていく暗い時代と思われがちだ。31年には満州事変、翌32年には五・一五事件、36年には二・二六事件が起きている。しかしその一方、都市部では享楽的な、いわゆるエロ・グロ・ナンセンスの大衆文化が全盛で、カフェやダンスホールも繁盛していた。

 乱歩はそんな都市の情景を巧みに作品に取り込んだ。事件が起きるビル街や富豪の邸宅の豪華さ、震災後の整備で縦横に伸びた交通網を駆使してのカーチェイス。『吸血鬼』のクライマックスでは、威容を誇る国技館が重要な舞台となり、犯人はドーム状の屋根からアドバルーンで逃亡する。その名場面は、一度読んだら忘れられない印象を読者に残すだろう。

 著者による乱歩作品と1930年代東京の追跡は、作中に描かれたものから、乱歩の実生活へと及んでいく。昭和前期の家制度は明治民法の下にあったが、大正期以降の教育観・家庭観の変化により、都市部の知的家庭では、明治的家父長制とは異なるリベラルな夫婦関係や一家団欒が見られるようになっていた。著者は乱歩の家庭も、そうしたモダンスタイルで営まれていたことを明らかにする。

 さらには旧時代の名残と思われがちの乱歩邸の蔵が、実は鉄筋コンクリート構造の近代的耐震耐火構造であること、さらには乱歩邸の元の持ち主に関する探索など、名探偵さながらの周到さで捜査を進める。その入れ込みぶりには、ところどころマニアックな類推もないではないが、それもまた本書の魅力だろう。乱歩ほど偏愛の似合う作家はいない。

週刊朝日  2021年4月30日号