クリスタル・ケイ [撮影/写真部・東川哲也、ヘアメイク/HAYATO TAKEDA (PUENTE Inc.)、スタイリスト/NARUMI OKAMURA、衣装協力/TENDER PERSON、H>FRACTAL(R)、DUALISM、IF8]
クリスタル・ケイ [撮影/写真部・東川哲也、ヘアメイク/HAYATO TAKEDA (PUENTE Inc.)、スタイリスト/NARUMI OKAMURA、衣装協力/TENDER PERSON、H>FRACTAL(R)、DUALISM、IF8]
取材の合間には、廊下で元気にストレッチ。彼女の周囲には笑いが絶えない [撮影/写真部・東川哲也、ヘアメイク/HAYATO TAKEDA (PUENTE Inc.)、スタイリスト/NARUMI OKAMURA、衣装協力/TENDER PERSON、H>FRACTAL(R)、DUALISM、IF8]
取材の合間には、廊下で元気にストレッチ。彼女の周囲には笑いが絶えない [撮影/写真部・東川哲也、ヘアメイク/HAYATO TAKEDA (PUENTE Inc.)、スタイリスト/NARUMI OKAMURA、衣装協力/TENDER PERSON、H>FRACTAL(R)、DUALISM、IF8]

 2019年にデビュー20周年を迎え、表現力や歌声に磨きがかかっているクリスタル・ケイ。今年はキャリア初のカバーアルバム「I SING」リリースするなど、積極的な活動を見えている。そんな順風満帆に見える彼女だが苦悩した時期もあった。

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 20代後半、自分のアイデンティティーを揺るがすような危機に直面したことがあるという。13歳で歌手としてデビューし、無我夢中で進んできた。でも、デビュー10周年が過ぎてから、「最初の頃に思い描いていたことが全然達成できていないな」「今はよくても、この先の10年、20年、大丈夫かな?」など、自分の人生の歩み方に自信が持てなくなった。

「20代後半って、誰にとっても迷いやすい時期なんだと思いますね。もう若くないカテゴリーに入っていくし、『このままでいいのかな?』『これからどうするんだ?』って私もいろんなことに迷っていました」

「当時ぶち当たっていたのは、歌手としての壁?」と聞くと、静かに首を横に振った。

「“人間としての壁”ですね。たぶん、人生でのぼらなければならないステップの1段目だった(笑)。そのタイミングで私は、前から行ってみたいと思っていたニューヨークに拠点を移して、たった一人で、自分のずっとやりたかった音楽を追求することにしたんです」

 目標は、現地のレーベルとの契約だった。でも、世界中からアメリカンドリームを夢見て集まった人たちの中に自分を置いてみると、襲ってきたのは想像以上の孤独だった。

「ニューヨークで夢を追いかけて生き残れる人はほんのひと握りです。うまくいかないことだらけだったけど、でも、初めていろんなことを考える時間ができた。日本にいたら、自分を客観的に見ることができなかったけど、ニューヨークでは、初めて自分とちゃんと向き合えたんです」

 徐々に同世代の友達ができていき、深い話をするようになると、誰もが、仕事は違っても同じ気持ち、同じ悩みを抱えていることもわかった。そんなある日、友人の一言が、壁を乗り越えるヒントをくれた。

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