平井伯昌(ひらい・のりまさ)/競泳日本代表ヘッドコーチ、日本水泳連盟競泳委員長
平井伯昌(ひらい・のりまさ)/競泳日本代表ヘッドコーチ、日本水泳連盟競泳委員長
1972年ミュンヘン五輪で金メダルの表彰を受ける田口信教さん (c)朝日新聞社
1972年ミュンヘン五輪で金メダルの表彰を受ける田口信教さん (c)朝日新聞社

 指導した北島康介選手、萩野公介選手が、計五つの五輪金メダルを獲得している平井伯昌・競泳日本代表ヘッドコーチ。連載「金メダルへのコーチング」で選手を好成績へ導く、練習の裏側を明かす。第63回は、「声援を力にする心構え」。

【写真】1972年ミュンヘン五輪で金メダルの表彰を受ける田口信教さん

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 五輪で日本の競泳選手が金メダルを取った最初の記憶は、9歳のときにテレビで見た1972年ミュンヘン五輪です。男子100メートル平泳ぎの田口信教さん、女子100メートルバタフライの青木まゆみさん、男女の金メダルは、私も含めた当時のジュニア選手に大きなインパクトを与えました。

 競泳の日本選手の金メダルは56年メルボルン五輪男子200メートル平泳ぎの古川勝さん以来、16年ぶり。田口さん、青木さんともに決勝で世界新をマークしてつかんだ栄冠でした。胸に「NIPPON」と入ったユニホームとともに、強烈な印象が残っています。

 ミュンヘン五輪が終わると、スタートの構え方など田口さんのまねをしました。2004年アテネ五輪で北島康介が男子平泳ぎ2冠を獲得した後、国内の競技会では多くの子どもたちが北島の泳ぎのまねをしていました。金メダルの影響力は大きいと思います。

 ミュンヘン五輪の田口さんは「観客席の大歓声をすべて自分への応援だと思って力に変えた」といいます。大舞台に臨む大事な心構えで、選手たちにもこの話をしてきました。ただ、五輪会場の雰囲気を味方につけるには経験も必要です。コーチとして初めて参加した00年シドニー五輪のプールは見上げるほどの仮設スタンドが設置され、会場を揺るがすような大声援にびっくりしました。初出場の北島もスタートで足を滑らせて失敗しました。

 その後、アテネ、北京、ロンドン、リオと五輪の経験を重ねて、指導者として田口さんの心境に近づけたような気がしています。

 18年に東京辰巳国際水泳場で開かれたパンパシフィック選手権は「仮想東京五輪」として臨みました。選手たちが地元の国際大会で声援を力に変えることをチーム全体のテーマにしました。金メダル6個を含む過去最多の23個のメダルを獲得して、手応えをつかみました。観客の声援は、経験を積んだ実力のある選手にとって、とても大きな力になります。

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平井伯昌

平井伯昌

平井伯昌(ひらい・のりまさ)/東京五輪競泳日本代表ヘッドコーチ。1963年生まれ、東京都出身。早稲田大学社会科学部卒。86年に東京スイミングセンター入社。2013年から東洋大学水泳部監督。同大学法学部教授。『バケる人に育てる』(小社刊)など著書多数

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