自分のヘンな行為をすべて「ネオダダだ」と言いつくろってすましていればいいなら、これからも、何をやってもいいわけですね。ところが、最近、益々(ますます)、年齢の衰えが肉体に顕著にあらわれて、昔のように若々しく振舞(ふるま)うことが不可能になりました。せいぜい、腰など曲がらぬ様(ホントウは曲がってるかもしれない)気取って歩いているつもりながら、そう思っているのは、自分ばかりで、他人の目には、れっきとした老婆スタイルになり下がっているのでしょう。

 この五月(あと二カ月)になれば、れっきとした九十九歳になるのですよ。十四歳も私より若いヨコオさんは、六月で八十五歳ですものね。八十五歳、何と瑞々(みずみず)しい感じ。私はその時、何をしていたかしら。

 ヨコオさんの今回の時計の話は、すごく楽しかった。

 ニューヨークのMoMA(近代美術館)がスイスのスウォッチの時計とコラボレーションをして、ゴッホ、ルッソー、モンドリアン、クリムト、横尾忠則の五人の画家の時計が発売されたそうですね。

 並んだ五人の名の豪勢なこと! 五人の時計の写真を送ってくれるそうですが、待ちかねています。

 ところで、私は時計をいくつ失(な)くしたか知れません。どうしてか、時計が体になじまなくて、必ず、落(おと)してしまうのです。高価だと大切にするかと、パリで、目が飛び出るほど高価な時計もいくつか買いましたが、どれひとつ身につかず、みんなどこかに落してしまうのです。大体、時計の示す時間というものが、私の性に合わないのです。

 会合に集まると、一時間や半時間必ず、早すぎたり、遅すぎたりします。ほとんど、和服になって以来、腕時計は似合わないと気取って帯にはさむと、益々、落すチャンスが増えていったのです。

 要するに、時計の示す時間に、自分の性格が合わないんです。そのため、いく人恋人を失ったか知れません。

 そういえば、この手紙の往復が一年以上もつづいてるのが不可思議です。およそ、時間観念に乏しい二人の間で。

 五人の時計の写真、今、着きました。凄い!

週刊朝日  2021年4月9日号